退位と崩御
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 14:20 UTC 版)
「ノロドム・シハヌーク」の記事における「退位と崩御」の解説
2004年10月20日には王位継承予定者で息子のノロドム・シハモニ王子(母は第6夫人モニニヤット王妃)とともに滞在先の北京から帰国した。退位した29日には8万人ともいわれる市民が集まった。 退位後は「サムデック・オー」(クメール語: សម្តេចឪ, ラテン文字転写: Samdech Euv、滞在先の中国では太皇と呼ばれた)の敬称が与えられ、1993年から続く自身の療養のため、頻繁に中国を訪れる生活を送っていたが、2012年10月15日に北京で心不全のため崩御。89歳没。シハモニ国王とフン・セン首相らは北京に飛び、17日にシハヌークの亡骸は中国国際航空の航空機でカンボジアに帰され、約120万人の国民が空港から王宮まで出迎えた。 2013年2月1日から一連の国葬の儀式が始まり、2月4日には日本の秋篠宮文仁親王や各国の首脳などが参列し、文仁親王はシハモニ国王やフン・セン首相を弔問した。儀式は7日まで行われた。
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