退位と王位継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 20:43 UTC 版)
「イネ (ウェセックス王)」の記事における「退位と王位継承」の解説
726年、イネは退位した。ベーダによれば後継者はとくに定めてはいなかったと言い、『若き者たち』に自らの王国を託しローマへと旅立ち、かの地で没したとされる。彼の前王キャドワラもまた退位しローマへと発ったのと同様であった。当時の考えでは、ローマへの旅立つ事で人は天国へ召されるようになるとされ、ベーダによればそのためにたくさんの人々がローマを訪れていたと言う。すなわち『高貴なものも平民も、俗世の者も僧侶も、男も女も斯くの如しであった』と書いている。このような潮流の中、イネもマーシア王オファも巡礼のための簡易宿泊所を設けていたと古来推測されており、『スコラ・サクソヌム(Schola Saxonum)』と呼ばれるその場所はローマの東部ボルゴにあったとされる。その名は元来ローマに駐在するサクソン人の民兵組織の事を指したが、後にイングランドからローマに来る巡礼者のための宿泊所へと発展したものだったらしい。イネの後継者はエゼルヘルドが継いた。このエゼルヘルドはイネの縁者であり、一説によるとイネの義理の兄弟だったとされる.エゼルヘルドの王位継承は他の王位継承者(エゼリンク)だったオスワルドによって異議を唱えられており、イネの退位後の不安定な余波を煽られたエゼルヘルドにはマーシアの支援があった事、両名がエゼルヘルドを王として掲げ、エゼルヘルドをマーシア王エゼルバルドの影響下に置いた可能性が示唆されている。後の王族につながる者として、718年に没したイネの兄弟インジルドがいるが、後世のウェセックス王エグバートにつながる始祖となっている。
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