近代工業と大規模農業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 01:35 UTC 版)
ポー平原西部(ポー川上流)にはトリノやミラノなど大工業地帯があり、最下流のアドリア海に面した一帯は低湿地で、河口付近にはデルタが形成されている。ローマからみてポー川の手前側(右岸)をチスパダーノ、向こう側(左岸)をトランスパダーノと分ける呼び方もあり、18世紀末のナポレオン・ボナパルトのイタリア遠征に続く一時期、チスパダーナ共和国とトラスパダーナ共和国が樹立されたこともある(後のチザルピーナ共和国)。 ポー平原のピエモンテ州、ロンバルディア州の地域は、18世紀から19世紀にかけて灌漑施設が整備されて牧草栽培と家畜飼育が進み、穀作と酪農の混合農業が発達した。この地域では稲作経営が多くみられ、水田の草取りには季節雇いの女性労働者が使われた。モンディーナと呼ばれるこの女性労働者層は、最近までポー平原の社会生活に大きな位置を占めていたが、機械化と除草剤の使用につれてしだいに姿を消していった。ロンバルディア南東部からエミリア=ロマーニャ州にかけてがポー平原の中心部に当たるが、ここでも穀物生産と酪農経営が発達し、各種のチーズやハムの産地として知られる。また、テンサイ、トマト、果樹などの栽培と関連して製糖業や食品加工業も盛んである。 19世紀以来ポー平原では農業労働者を雇用しての大規模農業経営が支配的で、農場には雇農の住居、家畜飼育所、脱穀やチーズ・バター製造のための諸作業施設、貯蔵倉庫などを1ヵ所に集中したカシーナと呼ばれる経営基地が存在した。同じ大農経営でも南イタリアやシチリアでは、こうした施設が農場に設営されることはなく、この点は両地方の大農経営の性格の違いを端的に表している。
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