近代実証主義からの批難
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 00:58 UTC 版)
「後醍醐天皇」の記事における「近代実証主義からの批難」の解説
明治時代に入り、正式に南朝が正統であると政府から認められると、民間では大義名分論が主流であったが、逆に研究者の間では実証を重んじる気風が生まれ、日本史の多くの分野では研究に進展が見られた。ところが、建武政権・南北朝時代の政治研究については『太平記』史観からほとんど変化がなく、東京帝国大学や京都帝国大学の日本史研究者から、一貫して後醍醐天皇は批難された。久米邦武が臣下の無理解も指摘し、中村直勝が貨幣鋳造政策にやや好意的であるといった部分的な変化はあるものの、久米も中村も基本的には後醍醐天皇を酷評している。田中義成も黒板勝美も恩賞政策を中心に後醍醐批判を展開し、その内容はほぼ『太平記』と同じである。
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