近代太政官制下の大納言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 09:34 UTC 版)
慶応3年(1867年)12月の王政復古で太政官が廃絶すると、大納言の官職も消滅した。しかし、その後、明治新政府が数次の改組を続けるなかで、1869年(明治2年)7月に、二官六省から成る政府が組織されて太政官の名称が復活し、そのなかで大納言の名称を持つ官職が復活した(権官はなし)。新設の大納言には岩倉具視と徳大寺実則が就任している。そして、1871年(明治4年)7月には太政官がさらに三院八省に改組されるに伴い大納言の官職は再び消滅した。以降、同名の官職が復活したことはない。
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