農業と土壌観とは? わかりやすく解説

農業と土壌観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/17 06:34 UTC 版)

土壌地理学」の記事における「農業と土壌観」の解説

人類農耕経験通じて、土の作物栽培適する・適さない耕作しやすい・しにくいなど、土に対す知識を身につけてきた。定住農耕社会において、紀元前6000年北部メソポタミア(今のイラク)が人類最古と言われており、その後やや遅れてエジプトナイル河畔でも発展した。これらは、旧石器時代末に獲物狩りすぎたことによる生存危機さらされ人類数千試行錯誤続けた結果である。メソポタミアにおいて紀元前3000年楔形文字登場したことで、神話経典文字として残されるようになった聖書には当時輪作体系牧草地として数年間は地力維持しその後数年間作物を栽培したらまた牧草地に戻す)がとられていたことが記載されている。1世紀ころには、古代ローマ学者コルメラ(Columella)によって、外観による土壌分類が行われた。 東洋農耕文化は、紀元前2,000年ごろ中国黄河流域生まれている。それ以前紀元前3-4世紀には地理書作られており、中国土地9つの州に分け各州の土を色、土性手触り組み合わせ分類しているものが書かれている。この土壌分類方法地理的分布は後の日本農書土壌分類影響している。 18世紀になって土壌研究科学的なになっていった。ドイツテーヤ(1752-1785)は、土壌中の有機物植物の根から吸われ養分になっている考える「腐植栄養説」を提唱している。しかしその後スイス化学者N・Tド・ソシュール(1767-1845)やドイツのカルル・シュプレンゲル(Carl Sprengel、1778-1859)によって実験的に植物の栄養無機物であることが証明された。この「無機栄養説」は、ドイツ有機化学者リービッヒ(1803-1873)により、化学的土壌観として確立された。彼は「植物年々土壌から養分吸収して育成する。したがって土壌から失われた成分化学肥料として補給すれば、土壌肥沃度を維持することができる」と提唱しており、これに基づいた化学肥料生産始まったリービッヒ土壌観は農業農学近代化大きな貢献をしているといえる

※この「農業と土壌観」の解説は、「土壌地理学」の解説の一部です。
「農業と土壌観」を含む「土壌地理学」の記事については、「土壌地理学」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「農業と土壌観」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「農業と土壌観」の関連用語

農業と土壌観のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



農業と土壌観のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの土壌地理学 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS