軍の再編と各国の介入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 14:52 UTC 版)
「ナゴルノ・カラバフ戦争」の記事における「軍の再編と各国の介入」の解説
かつての冷戦時代、NATO加盟国であるトルコと国境を接するアルメニアはソ連にとって重要な戦略拠点であり、またトルコ軍の侵攻を許した過去があったため、ソ連は主戦場になると想定したアルメニアを避け、アゼルバイジャンへ多くの兵力を配置していた。当時のアゼルバイジャンが5個師団と5か所の軍用飛行場を擁していたのに対し、アルメニアには3個師団が配備されていたが軍用飛行場は存在しなかった。弾薬輸送貨車の数も、アゼルバイジャンの1万両に対しアルメニアが保有していたものは5百両に過ぎなかった。 だが、ソ連軍の解体によりアゼルバイジャン軍はゼロからの出発を余儀なくされた。国軍のみでの戦争の遂行が不可能となったアゼルバイジャンでは、国内の富裕層や近隣諸国からの援助が不可欠となり、富豪のスラト・フセイノフ(ロシア語版)は私兵として陸軍第709旅団を臨時に編制し、第23自動車化ライフル師団の兵器庫から大量の武器弾薬を購入してそれに充てた。 その一方で、アルメニア側は1990年代初頭から既に独自の軍隊の編成を開始していたので、アルメニア軍の再編は独立直後からスムーズに進めることができた。そして、ソ連崩壊後に独立国家共同体 (CIS) が創立されると、トルコの軍事的介入という脅威を感じていたアルメニアは、加入をためらうアゼルバイジャンを尻目にCISへ加入し、集団安全保障の傘に入った。1992年1月にはステパナケルトにCIS軍司令部が置かれ、以前から駐留していたソ連陸軍第4軍(英語版)や第366自動車化ライフル連隊の一部を含む新たな部隊が編制された。しかし、アルメニアはロシアと広範な条約を結んでおらず、また当時は集団安全保障条約も存在しなかったため、アルメニアはトルコとの国境を自力で防衛せざるを得なかった。そしてナゴルノ・カラバフ戦争の期間中、アルメニア軍はそのほとんどをトルコとの国境地帯に配備しておくことを余儀なくされた。 両民族の徴兵年齢の男性はそのほとんどがアフガニスタン紛争などの軍務に服した経験があり、カラバフのアルメニア人の60パーセントは従軍経験があった。しかし、アゼルバイジャン人の大部分はソ連軍では差別の対象となり、実戦ではなく建設大隊へ配属されることが多かった。このような状況は、アゼルバイジャンには2つの士官学校があったにもかかわらず、彼らに実戦経験が欠けていた要因の一つとなった。
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