軍に入隊まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 08:39 UTC 版)
長野県北安曇郡七貴村(現・池田町)に医師の父・上原寅太郎、母・よ志江の三男として生まれ、旧穂高町(現・安曇野市)有明で育つ。 遠縁にあたる「有明医院」を継いだ上原家は裕福で子供らに文化的な生活を送らせており、近くの乳房川で家族みんなで写真の撮影会をしたり、家の離れに近所の子供たちを集めて肝試し大会を開催したり、広い裏庭ではテニスをやったり、またスキーや登山といった遠出も頻繁に行っていた。楽器にも親しんでおり、中でも2人の兄はバイオリン、上原はハーモニカの演奏が得意であった。祖父が俳人だったこともあってか、上原家の子供たちは文才に恵まれ、また、ものを書く習慣が備わっていた。上原も厖大な遺稿を遺しており、松本中学校に入学したときには「僕が先づ中学校へ来て驚いた事は、他の中学校にはないような、自治といふ精神や古い歴史がある」という気持ちを書き遺し、松本中学校の新校舎が完成したときには近くの松本城と比べて「天守閣を見上げた我々も、こんどは天守閣を見下すようになった。天守閣よ聞け、我が新校舎にはかなわないだろう」などと書いている。しかし寡黙で控えめな上原は学校で目立つ方ではなく、鉱物研究や籠球にも熱中していたが、周囲から見るとちょっとすました印象であったという。 1941年、慶應義塾大学予科に入学。1942年に慶應義塾大学経済学部に進学するが、大学生活で熱中したのがイタリアの歴史哲学者ベネデット・クローチェだった。クローチェはベニート・ムッソリーニが進めるファシズム に反対し、自由の尊さを訴えた人物であるが、このことが上原に大きな影響を与えた。特に歴史哲学者の羽仁五郎のベネデット・クローチェ論の著作『クロォチェ』が愛読書となった。
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