貿易摩擦の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 17:47 UTC 版)
しばしば日米貿易摩擦を中心に論じられる。日本の経済成長と技術革新に裏打ちされた国際競争力の強化によって、アメリカに大量の日本製品が流入した。このため日米間では、以下の製品群において日米間の激しい貿易摩擦が起こった。アメリカ政府の強い要請を受けて日本政府は、自主規制などを日本側輸出企業に求めた。 1960年代後半の繊維製品 1970年代後半の鉄鋼製品 1980年代のカラーテレビやVTRをはじめとする電化製品・自動車・半導体 1990年代のハイテク摩擦(L.タイソンの原著の副題から) 摩擦のピークは1980年代であった。きっかけは1970年代アメリカのスタグフレーションである。合衆国は外需、もっといえば大衆に還元できるような利潤を必要としていた。そこで講じられる手段を日米貿易摩擦に限る理由はなく、摩擦は欧州諸共同体とも農産物・特許等をめぐり激しいものを展開した。資本の自由化が日米欧州三極間(特にフランス)で進行し、ミューチュアル・ファンドをばらまくメガバンクが世界展開した。 比較的未開拓のアジア市場は21世紀となってからグローバル化の洗礼を受けた。まず米韓自由貿易協定が結ばれた。米中の間でも、貿易・投資における障壁、中国の最恵国待遇(MFN)、中国のWTO加盟、といった問題を中心に摩擦が激化してきている。韓国のようにあっさりといかないのは、中国と接するカザフスタンなどの中央アジア諸国でロシア・欧州の利権がもともと交錯しており、さらに中国がロシア・欧州の製品輸出先となっているからである。この構造は露清銀行とインドシナ銀行が競り合った近現代とさほど変わってはいない(#帝国主義と貿易摩擦も入門として参照のこと)。
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