貿易形態の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 16:33 UTC 版)
覚書では、1963年から1967年までの5年間を第一次五カ年貿易期間とし、年間の平均取引総額を3600万ポンドとする、中国側の輸出品は石炭、鉄鉱石、大豆、トウモロコシ、豆類、塩、スズ、その他。日本側の輸出品は鋼材(特殊鋼材を含む)、化学肥料、農薬、農業機械、農具、プラント、その他とすることなどが規定されていた。 この協定実行に伴い、それまで行われていなかった技術の交流・協力なども積極的に行われていくこととなる。従来の短期民間貿易に加え、政府保証を背景とした延べ払いを利用する長期・総合取引化が進んだ。一例として倉敷レーヨン(現クラレ)・ニチボー(大日本紡績、現ユニチカ)によるビニロンプラント輸出をはじめとするメーカーの直接交渉による長期契約方式がある。LT協定締結直後には、早くも中華人民共和国技術輸出入公司ビニロン視察団(団長:楊維哲)が訪日、1963年8月23日には池田首相の決断により日本輸出入銀行の200万ドル融資が行われ、延べ払い形式でのプラント輸出が行われることとなった(ただし、第二次吉田書簡問題(後述)によりニチボーの契約は遅れる)。
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