財団法人森下美術館(1975-2005)
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森下精一はかねてから国内外の美術作品への関心が強く、人間国宝である金重陶陽の備前焼、日本・朝鮮・中国の陶磁器類、横山大観や下村観山らの日本画、宮本三郎や梅原龍三郎らの洋画などを収集していた。森下精一が65歳の時に商用で中南米を訪れた折、取引相手であった実業家兼アンデス文明研究者の天野芳太郎を訪ねた際に古代アメリカの美術に目覚めた。専門家に鑑定を依頼した結果、森下精一が収集したコレクションは中南米10か国の貴重な文化遺産であり、紀元前2500年から紀元1500年までの約4000年間にわたる期間のコレクションであることが判明している。 森下精一は中国銀行頭取の守分十などの協力を得て、1974年(昭和49年)4月に財団法人を設立して施設と全所蔵物を寄贈。1975年(昭和50年)3月5日には和気郡日生町に財団法人森下美術館を開館させた。インカ文明やマヤ文明など中南米の古代文明から、土器・土偶・織布など約1,000点を展示している。美術館の外壁には藤原建が製作した16,000枚以上の備前焼の陶板をあしらっている。なお、国宝である閑谷学校講堂、黒住教本部も森下美術館同様に備前焼の陶板をあしらった建物である。日本総合設計事務所社長の鈴木登は、担当者を中南米に派遣して建物の設計を行い、内装は現代芸術研究所の平野繁臣や長崎哲士が指導にあたった。収蔵品の分類・整理・展示指導・解説には、文化人類学者の増田義郎(東京大学)があたった。 岡山県の観光地をめぐる主要な定期観光バス3ルートのひとつに組み込まれたため、開館当初は年間4,000人の入館者があったが、バスルートから外れると入館者数が低迷した。
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