豊臣家がらみの出来事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 23:48 UTC 版)
徳川幕府とは、天下統一を達成した豊臣秀吉が構築した豊臣政権の最有力大名だった徳川家康が、秀吉の死後に関ヶ原で豊臣家から力ずくで奪った政権だった。さらに続く大坂の陣では、大坂になお残る秀吉の遺児・秀頼とその母・淀君を理不尽な理由と謀略で挑発し、前後2回にわたって諸国から延べ35万の大軍を動員、さらにはいかさまもどきの和睦交渉で難攻不落の大坂城を裸城にして攻め落とし、なりふり構わず豊臣家をこの世から消し去ってしまったものだった。 こうした背景から、秀吉や豊臣家を主題とした軍記物や物語には江戸時代を通じて公儀が常に目を光らせていた。庶民の英雄である太閤秀吉の人気は衰えることがなかった。しかし秀吉の生涯をありのままに描くと、そこにはちょっと違った見方をすれば家康を暗に批判しているもとられかねないような表現の介在する余地が十分にあったからである。したがって秀吉や豊臣政権はもとより、秀頼や淀君、さらには秀吉子飼の加藤清正や福島正則などの活躍を題材とした芝居では、それを書く狂言作者たちも特に神経を使ったのである。したがってそうした芝居は、江戸時代より前の時代の「世界」に仮託して描かざるを得なかった。登場人物を、例えば木下藤吉郎を此下東吉(このした とうきち)、羽柴秀吉を真柴久吉(ましば ひさきち)などと書き替えていたのはまだ序の口で、『近江源氏先陣館』や『鎌倉三代記』という演目になるとそのあらすじは大坂の陣を描いたものあることが明白で、北条時政や比企能員といった鎌倉時代初期に実在した人物に仮託されて描かれているのは、徳川家康その人にほかならない。 演目下敷きとなった出来事歴史的時代区分系統物語の世界仮託した時代『近江源氏先陣館』 大坂冬の陣 江戸時代初頭 大坂軍記物 『大坂軍記』の世界 鎌倉時代 『鎌倉三代記』 大坂夏の陣 江戸時代初頭 大坂軍記物 『大坂軍記』の世界 鎌倉時代
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