豊臣姓の特権的地位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 00:43 UTC 版)
藤原氏に代わる新たな摂関家の氏として創始された豊臣姓は、この政権における官位叙任ではまさしく特権的に扱われた。秀吉は機会あるごとに、家臣だけでなく陪臣にまで広範囲に豊臣の氏を与えていった。豊臣政権下における官位叙任は秀吉の意志がすべてである。秀吉から口頭で官位叙任を告げられれば、その場ですぐにその官位を正式に名乗ることもできた。秀吉が戦争のために京都を離れている時期に、そのような例がしきりに見られる。朝廷は単にそれを追認して事後に宣旨・口宣案などの官位叙任文書を作成するにすぎなかったが、その文書には、本人の本姓が源氏であろうと藤原氏であろうと、一律にすべて「豊臣朝臣某」という名が記載されることになっていたのである。豊臣氏はこうして膨大な数の構成員を獲得していくことになった。
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