豊宮崎文庫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/20 16:41 UTC 版)
詳細は「豊宮崎文庫」を参照 天下泰平となった江戸時代の慶安1年(1648年)、国学者として知られる外宮権禰宜出口延佳(度会延佳)の提唱に与村弘正・岩出末清・檜垣常基や御師、総勢約70名が賛同・出資し、外宮の東隣の豊宮崎(現在の伊勢市岡本3丁目、「豊受宮の尾崎」の意味で外宮神域の先に由来する地名)に豊宮崎文庫を設立した。この豊宮崎文庫に設けられた講堂では和学・漢学などの講義が行なわれ、神職の養成に勤めた。 寛文1年(1661年)に山田奉行の八木宗直が江戸幕府に働きかけ、豊宮崎文庫の修理料として米20石の畝地が寄贈された。宗直は文庫式条を定め、豊宮崎文庫設立に協賛した有志が出資し維持にあたる、籍中と称する財団により図書の購入や出納・謄写・曝涼などの業務を行う、などとした。8組で構成された籍中は行事を順番に交代で勤めた。当初70人であった籍中は後に100人を超えたと元禄10年(1697年)の『山田町方古事録』に記されている。 日本各地に豊宮崎文庫の名が知れ渡り、寛政8年(1796年)に水戸の小宮山昌秀から『太神宮参詣記』の古写本が、肥前島原城主松平忠房からは中国最古の史書の1つとされる『古文尚書』(13巻、明経道(みょうぎょうどう)博士の清原家に伝えられていた鎌倉時代の写本。神宮徴古館所蔵の重要文化財)が、安政4年(1857年)には水戸藩主徳川斉昭から『大日本史』の初摺本を寄贈されるなど、多くの学者からの書籍の寄贈が相次ぎ、豊宮崎文庫の蔵書は20,000冊を超えることになる。 日本各地の学者らの協力は書籍の寄贈にとどまらず、室鳩巣・貝原益軒・伊藤東涯などの学者が豊宮崎文庫を訪れ講演を行なった。
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