八木宗直とは? わかりやすく解説

八木宗直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/31 09:45 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
八木宗直
時代 江戸時代前期
生誕 慶長8年(1603年
死没 寛文5年(1666年
別名 勘十郎(通称)、守直
戒名 常光院殿利峰了貞大居士
官位 従五位下但馬守
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川秀忠家光
氏族 八木氏
高豊
テンプレートを表示

八木 宗直(やぎ むねなお)は、江戸時代前期の旗本山田奉行9代。通称は勘十郎。別名は守直。官位従五位下但馬守

略歴

八木氏は、もと但馬国豪族日下部氏の流れを汲む。室町時代から戦国時代にかけてに山名氏に仕えた。宗直は八木氏の庶流にあたる。2代将軍徳川秀忠に仕えて4,000石を知行する旗本に列した。豊島信満の刃傷事件により、その領地であった武蔵国久良岐郡富岡村を寛永5年(1628年)に拝領し、明暦2年(1656年)には村内の富岡八幡宮に子の高豊らと梵鐘を寄進している。

寛永13年(1636年)に3代将軍家光の命令で、江戸浅草にあった今戸八幡宮の再建を船越永景らと指揮。その後万治2年(1659年)より山田奉行の任に就く。鳥羽藩の管理下にあった伊勢神宮伊雑宮式年遷宮を、神人の訴えにより寛文元年(1661年)から幕府の手当と改めた。さらに豊宮崎文庫へ修繕のために20石の所領をあてがい、文庫の維持管理を助成している。寛文5年(1666年)伊勢市柏町「真福寺」(臨済宗 妙心寺派)にて葬儀。寛文3年7月8日亡 過去帳に記載有。戒名は常光院殿利峰了貞大居士。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「八木宗直」の関連用語

八木宗直のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



八木宗直のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの八木宗直 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS