諸暴動と西南戦争とは? わかりやすく解説

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諸暴動と西南戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 03:48 UTC 版)

大日本帝国陸軍の歴史」の記事における「諸暴動と西南戦争」の解説

戊辰戦争以降日本各地では新政府反対する士族農民による暴動頻発していた。これらの多くは藩兵によって鎮圧されていた。鎮台設置以後国内外防衛政府責任となった兵制甚だ不十分で依然として旧藩士に頼らなければならなかった。明治2年12月1日新暦1870年1月2日)、山口藩内にて大楽源太郎よる奇兵隊取り扱いをめぐる脱隊騒動では山口藩兵と徴兵1個大隊をもって不平隊士鎮圧しその後二卿事件政府四条隆謌少将派遣し鹿児島熊本山口徴兵部隊率いてこれを鎮圧した。この時期暴動としては最も悲劇的であった明治6年以降血税一揆でも各地徴兵部隊による鎮圧活動が行なわれた。 1874年明治7年以降最早暴動次元超え計画的組織的に行なわれ内乱様相呈しつつあった。1874年明治7年2月佐賀の乱1876年明治9年10月神風連の乱同年11月萩の乱鎮台部隊出動した。さらに1874年明治7年4月から10月まで台湾出兵が行なわれた。これは日本陸軍初の国外派遣となった明治六年政変征韓論政変)に端を発する西郷隆盛らの下野により1877年明治10年2月西南戦争勃発有栖川宮熾仁親王征討総督任じ第1・第2・第3旅団派遣した。これが日本陸軍では初めての臨時ではあるが旅団制である。戦局急迫に伴い第4旅団、別働第1・別働第2・別働第3・別働第4旅団編成し派遣終局ごろには別働第5旅団新撰旅団編成し派遣したこのうち別働第3・別働第4旅団新撰旅団兵士鎮台兵の不足により警視庁警察官急遽兵士仕立て上げ戦場送られたものである警視隊)。7ヶ月間に及ぶ激戦官軍勝利終わった勝因としては最高統帥部の政戦略の妙、陸海軍協調兵站整備諸条件適切な運用にあった。この戦争誕生間もない日本陸軍またとない戦訓与え問題点あらわにした。すなわち戦闘訓練未熟将兵精神教育不徹底指揮官指揮能力の不十分、徴兵組織不備動員体制欠陥などである。

※この「諸暴動と西南戦争」の解説は、「大日本帝国陸軍の歴史」の解説の一部です。
「諸暴動と西南戦争」を含む「大日本帝国陸軍の歴史」の記事については、「大日本帝国陸軍の歴史」の概要を参照ください。

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