諭鶴羽神社
諭鶴羽神社
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山頂の南側約400mに鎮座する諭鶴羽神社は創建が開化天皇の治世と伝えられる古社である。祭神は伊弉冉尊・速玉男命・事解男命。三角点のある山頂は諭鶴羽神社の御旅所で、毎年4月第2土曜日に行われる春の例大祭には神輿が上がる。 自然崇拝に始まったとみられる諭鶴羽参りは平安時代になると修験道の一大道場として隆盛を誇った。長寛元年(1163年)に書かれた『長寛勘文』の「熊野権現御垂迹縁起伝」によると、熊野神は英彦山から石鎚山、諭鶴羽山を経て熊野新宮・神蔵の峯へ渡られたとされる。一帯に28宇の伽藍が建ち並び、熊野権現元宮・熊野本宮と称えられて京の都にまでその名が聞こえた。『枕草子』にも「峰は ゆずるはの峰 あみだの峰 いや高の峰」とある。 しかし康正2年(1456年)に戦乱で全山が焼失。天文年間に美作藩主の助力で18宇を再建したが、天文18年(1549年)6月9日に石川紀伊守の乱で再び焼失。再興の望みがないため資料を後世へ伝えるべく天文21年、美作の乗蔵らが各社堂・神仏を碑石に刻んで残した。これらの碑石が奥宮・十二所神社に安置されている。 その後、承応年間(1652年から1654年)に徳島藩主の蜂須賀氏により本殿、拝殿などが再建されたが、明治初年の神仏分離令によって衰退した。 参道である諭鶴羽古道は、表参道が一の鳥居のある灘黒岩から18町。裏参道が神代浦壁・賀集牛内から30町。1町毎に町目地蔵が安置されている。また古道から発掘された町石は建武元年(1334年)銘で、在銘町石として県下最古のものである。また社叢林の原生林には前述のアカガシの他にタブノキの群落も見られる。 名前の読みの類似性から、フィギュアスケート選手・羽生結弦のファンの「聖地」の一つともされている。2014年のソチ五輪で金メダルを獲得した直後から、神社の存在がファンの間で話題になったと宮司が言った。 祭典 元旦祭 - 元日の午前0時 祈年祭 - 2月第2土曜日 例祭 - 4月第2土曜日 毛付け参り - 6月下旬から7月上旬、田植えの終了を感謝し豊作を祈願。 夏祭り - 7月第2土曜日 追悼献花祭 - 8月15日、第二次世界大戦の戦没者に白菊を献花して慰霊し、平和を祈念。 新嘗祭 - 11月第4土曜日 除夜祭 - 大晦日の午後11時半
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