諭鶴羽神社とは? わかりやすく解説

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諭鶴羽神社

読み方:ユズルハジンジャ(yuzuruhajinja)

別名 ゆづるはさん

教団 神社本庁

所在 兵庫県三原郡南淡町

祭神 伊弉冉尊 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

諭鶴羽神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 22:00 UTC 版)

諭鶴羽山」の記事における「諭鶴羽神社」の解説

山頂南側400m鎮座する諭鶴羽神社は創建開化天皇治世伝えられる古社である。祭神伊弉冉尊速玉男命事解男命三角点のある山頂は諭鶴羽神社の御旅所で、毎年4月第2土曜日行われる春の例大祭には神輿上がる自然崇拝始まったとみられる鶴羽参り平安時代になると修験道一大道場として隆盛誇った長寛元年1163年)に書かれた『長寛勘文』の「熊野権現垂迹縁起伝」によると、熊野神英彦山から石鎚山諭鶴羽山経て熊野新宮神蔵の峯へ渡られとされる一帯28宇の伽藍建ち並び熊野権現元宮熊野本宮称えられ京の都にまでその名が聞こえた。『枕草子』にも「峰は ゆずるはの峰 あみだの峰 いや高の峰」とある。 しかし康正2年1456年)に戦乱全山焼失天文年間美作藩主助力18宇を再建したが、天文18年1549年6月9日石川紀伊守の乱で再び焼失再興望みがないため資料後世伝えるべく天文21年美作の乗らが各社堂・神仏碑石刻んで残した。これらの碑石奥宮十二所神社安置されている。 その後承応年間1652年から1654年)に徳島藩主の蜂須賀氏により本殿拝殿などが再建されたが、明治初年神仏分離令によって衰退した参道である諭鶴羽古道は、表参道一の鳥居のある灘黒岩から18町。裏参道神代浦壁賀集牛内から30町。1町毎に目地安置されている。また古道から発掘され町石建武元年1334年)銘で、在銘町石として県下最古のものである。また社叢林原生林には前述アカガシの他にタブノキ群落見られる名前の読み類似性から、フィギュアスケート選手羽生結弦ファンの「聖地」一つともされている。2014年ソチ五輪金メダル獲得した直後から、神社存在ファンの間で話題になった宮司言った祭典 元旦祭 - 元日午前0時 祈年祭 - 2月第2土曜日 例祭 - 4月第2土曜日 毛付け参り - 6月下旬から7月上旬田植え終了感謝し豊作祈願夏祭り - 7月第2土曜日 追悼献花祭 - 8月15日第二次世界大戦戦没者白菊献花し慰霊し、平和を祈念新嘗祭 - 11月第4土曜日 除夜祭 - 大晦日午後11時半

※この「諭鶴羽神社」の解説は、「諭鶴羽山」の解説の一部です。
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