試製機関短銃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 05:29 UTC 版)
さらに、南部式機関短銃を基に、陸軍技術本部によって、昭和11年(1936年)に「試製一型機関短銃」と「試製二型機関短銃」が試作され、昭和12年(1937年)の間、試験された。試製一型機関短銃は実射試験を通じて銃身と弾倉の問題が判明したので、さらに改良を加えられて、試製三型機関短銃に発展することになる。 この試製一型機関短銃が一〇〇式機関短銃に繋がる系統の祖となった。試製二型機関短銃の系統は制式採用されず、少数が試作されたのみであった。 南部式一号・二号、試製一型・二型の、これら試作銃は各々が複数挺作られ、個々に微妙な差異があった。その中には弾薬規格の異なるヴァリエーションもあった。三八式実包の弾丸と薬莢を短縮し、装薬を減装した、「試製九五式実包」(6.5x30mm)と呼ばれる短小弾(ドイツのクルツ弾に相当)を使用する物もあった(南部式一号と試製一型に採用)。試製九五式実包は、8mm南部弾と比較して、さしたる侵徹効力の違いや利点が無かったためか、制式採用されなかった。 注目されるのは、これらの銃の試験を行ったのは陸軍騎兵学校であることで、当初は歩兵用の火器として考えられていたわけではなかった。この当時は騎兵といってもすでに乗馬騎兵はその主流ではなく、師団付属の騎兵連隊は師団捜索隊として機械化偵察部隊となりつつある時期にあたっており、こうした機械化偵察部隊の運用に適する火器として三八式騎銃ないし四四式騎銃を補完するものとされていた。 50発弾倉を備えた試製一型は昭和13年9月下旬から支那駐屯歩兵第二連隊に対して6丁が「突撃及び陣内の戦闘に於いて不意の戦況に対処し特に突撃中に敵を制圧する必要がある場合の価値を判定す」る為に試験配備され、運用した部隊からは敵陣地占領後に行われた敵の逆襲に対して試製機関短銃の「腰だめ射撃」で有効にこれを阻止したとの戦例が報告されている。「戦況上使用する機会は比較的多からざりしも実用したる場合には相当の効果を収めたり」としているが、その一方で弾薬の配当(分隊に1丁、携帯弾薬200発)が少なかった為に大なる成果があげられなかったとされた。射撃のデモンストレーションに参加した各種兵科の代表者からは機関短銃は最も軽便にして連発の威力が大きい為、自衛用に装備することへの熱烈なる希望があったと近接戦闘兵器研究委員会中支派遣者は報告書に記している。
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