記録及び受賞歴等
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/29 11:01 UTC 版)
「ウェイン・グレツキー」の記事における「記録及び受賞歴等」の解説
グレツキーは、1999年4月18日の引退時点で61個のNHL記録を保持していた(内訳は、レギュラーシーズン40、プレーオフ15、オールスター戦6)。 一シーズンにおける記録としては、ゴール数 (92)、アシスト数 (163) 及びポイント数 (215)、点取り屋の試金石とされる50試合50ゴールの最短到達記録(39試合目)などを持つ。また、プレイオフ通算記録としては、ゴール数 (122)、アシスト数 (260) 及びポイント数 (382) も持つ。さらに、レギュラーシーズン通算では、ゴール数 (894)、アシスト数 (1963) 及びポイント数 (2857) を記録している。彼の生涯アシスト数だけをもってしても、NHLの最多獲得ポイント選手となることができたであろう。 ハート記念賞を9度(うち8度は1980年から1987年まで連続)受賞している。ちなみに、グレツキーは北米地区におけるプロスポーツ界で最優秀選手賞を最も多く受賞した選手である。また、アート・ロス記念賞(リーグ最多スコアラー)を10度(うち7度は1981年から1987年まで連続)、コーン・スマイス賞を2度、レスター・B・ピアソン賞(選手が選ぶ優秀選手賞)を5度、レディ・ビング記念賞(フェアプレー)を5度それぞれ受賞している。 また、オールスター戦における最優秀選手賞も3度獲得している(最多受賞タイ記録)。オールスター戦においては、ファーストチームのセンターを8度、セカンドチームのセンターを7度務める栄誉を与えられており、これらの合計回数及びオールスター出場回数 (18) は、ゴーディ・ハウ及びレイ・ボークに次ぐ。 1982年、グレツキーはホッケー選手、そしてカナダ人としては初めてAP社主催の年間最優秀男性運動選手 (Associated Press Male Athlete of the Year) に選出された。また、同年雑誌『スポーツ・イラストレーテッド』からは、スポーツマン・オブ・ザ・イヤーを受賞。1990年には、AP社から10年間の最優秀男性運動選手 (Male Athlete of the Decade) に選ばれた。 1984年6月25日には、エドモントン・オイラーズ時代におけるアイスホッケーに対する顕著な貢献を称えられ、カナダ最高の勲章であるオーダー・オブ・カナダを受章した。ただし、授章式典はNHLのシーズン期間中に行われる慣例であるため、実際に受勲するのはこの13年7ヵ月後となった(この間カナダ総督は2人も交代していた)。 1999年11月22日に、3年間の待機期間を待たずして特例でホッケーの殿堂入りを果す。このときNHLは、この特例が適用される選手はおそらく今後は登場しないであろうとの声明を発表した。また、この殿堂入りの日に至るまでの彼の心情を綴った日誌はカナダ中の新聞に共同配信された。さらに彼のユニフォームの背番号99番を全NHLチームの永久欠番とすることも同時に発表された。 1999年には、ESPN が選出する「20世紀最高の運動選手」の第5位に名を連ねた。このとき、グレツキーの上位に選ばれたのは、マイケル・ジョーダン、ベーブ・ルース、モハメド・アリ、ジム・ブラウンであった。
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