規格統一の争いとは? わかりやすく解説

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規格統一の争い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 15:44 UTC 版)

VHS」の記事における「規格統一の争い」の解説

ソニーは、松下電器産業(現:パナソニック)にベータ方式への参加要請したが、松下態度不鮮明であった。 「VHSの父」と呼ばれる高野鎭雄松下幸之助直訴した、という経過流布されたり、映画のストーリー登場するが、史実に基づく経過は、松下電器当初からVHS採用動いていた。1975年当時日本ビクター社長には、松野幸吉(元松下電器東京支社長)が就任していた。1975年8月ビクターVHS試作機完成させた情報松下電器もたらされ同月松下中央研究所菅谷部長らがビクター横浜工場訪問しVHS試作機見学したNHK総合テレビプロジェクトX〜挑戦者たち〜』の第2話では、1975年9月3日には松下幸之助ビクター横浜工場VHS試作機見学し、「ベータマックス100点満点製品だ、しかしこのVHS150点だ」「ええもん造ってくれたな」と発言したと、試作機覗き込む松下幸之助写真つきで紹介されている。 1976年4月3日ビクター横浜工場で、松下電器松下幸之助相談役稲井副社長菅谷部長ソニー盛田会長岩間社長大賀副社長木原専務ビクター松野社長徳光副社長高野事業部長一同に会しベータVHSVX前にして初め意見交換したVX初めから問題にならず、VHSベータとの長短論じ合われた。佐藤正明著『映像メディア世紀』によると、その後松下幸之助相談役は「盛田さんがあまりにも熱心なので、もしかしたらベータマックスの方が良いのか思ってソニー研究所見せてもらったし、幸田工場見せてもらった。しかしわし考えは変わらなかったな。」とも発言している。 1976年5月7日ソニー盛田会長木原専務伴って松下電器東京支社訪れ盛田だけが相談役室に通されて、松下相談役は「規格統一何としてもせなあかん。そこでうちのビデオ事業部ベータマックスVHS双方かかる機械開発頼んでみたんやがダメやった。そこで盛田はんの言う通り、どこかの機械統一するしか道はない。わしの見るところ、ベータマックス百点や......わしの見るところVHSは百五十点や。仮に百二十やったらビクターベータ押し付けるともできるんやが......これだけ差がある以上どうにもならん。盛田はん、率直に言いますVHS規格採用してもらうという訳はいかんやろうか」と発言した。「ご迷惑をおかけしました盛田氏は返事をしない代わりに一礼して相談役室を後にしたとされる通商産業省規格分裂対し難色示していたこともあり、松下幸之助氏が、ソニーVHS採用働きかけたが、ソニー拒否していた。幸之助がVHS選んだ決め手になったのは前述挙げた理由の他に、VHSデッキのほうが軽かったこともあった。「ベータだと販売店の配送を待たなければならないが、VHSギリギリ持ち帰れ重さで、購入者自分自宅持ち帰りすぐ見られる」といった幸之助らしい基準だった。

※この「規格統一の争い」の解説は、「VHS」の解説の一部です。
「規格統一の争い」を含む「VHS」の記事については、「VHS」の概要を参照ください。

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