西武グループ入り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 10:13 UTC 版)
第二次世界大戦中、電力事業の国家統制に伴って宇治川電気の傘下を離れることになり、代わって箱根土地(第二次世界大戦後の西武グループ)の傘下に入ることになった。第二次世界大戦後は、増備車両の多くを西武鉄道からの中古車両の譲渡で賄ったことによりさらに西武色を強めていくことになり、また自社の彦根工場での車両の改造工事も盛んに行った。 国鉄が東海道新幹線を建設するにあたっては、高宮 - 五箇荘間で約7.5キロメートルに渡って当線と線路が並行することになった。これに際して鈴鹿山脈の眺望が失われるとして、近江鉄道が国鉄に補償を求めたという話がある。新幹線の工事誌によれば、新幹線によって交差する道路の安全確認が困難となり、踏切改良、警報器設置などの「防護補強工事費」および新幹線の「併設による旅客収入減」等への補償を求めたものだとされる。この時、影響の一つとして眺望も付記したことを新聞に「景観料」と面白く書き立てられて風評が広がったと、2000年に林常彦近江鉄道取締役(当時)は鉄道雑誌『鉄道ピクトリアル』で話している。衆議院運輸委員会での国鉄側の答弁によれば、京都付近で阪急京都線と並行した場所では、阪急の高架化を国鉄の負担で行ったため、同様に高架化して欲しいと近江鉄道から要望があったが、近江鉄道程度の交通量では高架化まではする必要がないだろうとして説得を行った。仮に高架化した場合に約4億円かかると試算されていたが、近江鉄道側から高架化をしない代わりとして補償を要求された額は約7億数千万円で、それを何とか減額交渉を行って約2億5000万円に収めたという趣旨の説明がなされている。会計検査院の報告によれば、近江鉄道からは防護補強工事費等として2億6215万円あまり、沿線風致阻害観光価値減殺による旅客収入減補償として1億5410万円余り、合計4億1626万円あまりの請求が国鉄に対して行われ、用地費および防護補強工事費等として1億5000万円、旅客収入減少への補償として1億円が支払われたとされているが、このうち旅客収入減少への補償については新幹線併設により近江鉄道の旅客が減少するものとは認めがたく、補償限度を逸脱して「処置当を得ない」と認定されている。
※この「西武グループ入り」の解説は、「近江鉄道本線」の解説の一部です。
「西武グループ入り」を含む「近江鉄道本線」の記事については、「近江鉄道本線」の概要を参照ください。
- 西武グループ入りのページへのリンク