西武グループと地域の関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 22:49 UTC 版)
「新横浜プリンスホテル」の記事における「西武グループと地域の関わり」の解説
もともと1959年に堤康次郎が、後に新横浜の地名が付けられる篠原地区周辺を地主から安値で買い占め、東海道新幹線の建設が決まったことで旧国鉄に買値の倍以上の額で売却し、転売益を得たなど旧コクド・西武グループと繋がりのある地域の一つであった反面、土地収用のトラブルが新幹線開業前とプリンスホテル建設前にあり後者は後に市を相手取り裁判に発展(結果は地権者側の敗訴)している。その後、1980年代後半に横浜アリーナの出資母体として運営に関わり、プリンスホテル・プリンスペペを着工した。 新横浜駅周辺にテナントビル2棟(新横浜西武ビル・新横浜スクエアビル)をプリンスホテルと同時期に竣工している。 西武鉄道のリストラにより、テニスセンターは2005年5月に、ボウリングセンターは2006年3月に閉鎖となり、それぞれ野村不動産が跡地を買収した。2007年にボウリングセンター跡地にオフィスビルを着工し、2009年の竣工後に中央労働金庫へ売却され、「中央労働金庫 業務集中・新横浜センター」として、同金庫の新横浜支店とバックオフィス部門が入居している。 2010年4月に新横浜プリンスホテル一帯の不動産所有者が西武鉄道から西武プロパティーズへ移管された。
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