西正面と塔とは? わかりやすく解説

西正面と塔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 05:00 UTC 版)

ロマネスク建築」の記事における「西正面と塔」の解説

初期ロマネスク建築西正面カロリング朝の西構えから発展したもので、その形態によって縮小型西構え三塔型、双塔型、横断型、単塔型に分類されるカロリング朝時代の西構え10世紀頃まで建設されており、ヒルデスハイムのザンクト・ミヒャエルやランスノートルダムなどは、発掘によってコルヴァイのザンクト・ヴィートスに類似する平面の西構え持っていたことが知られている。 現存する初期ロマネスク西正面は、 ケルンのザンクト・パンターレオン聖堂1000年)、そしてミュンスターアイフェル旧大修道院のザンクト・クリザントゥース・ウント・ダリーア聖堂などがある。一部復元されているが、ザンクト・パンターレオンの西端部洗練されたもので、箱型中央塔挟み込むように2つ円形階段塔を持つ三塔西正面呼ばれる形式である。これは、両側の階段塔は発達していないものの、アーヘン宮廷礼拝堂西正面においてすでに認められる形式で、1000年から1200年頃にかけて、スヘルデ川エルベ川挟まれ地域において広く採用された。 双塔型の西正面を持つ建築物いつごろ建設されたのかは明確でない平面上、双塔西正面横断西正面呼ばれる形式類似しているため、上部構造残っていない限り、これらを区別することはできないからである。ジュミエージュにあるノートルダム聖堂の西構え1070年頃)は双塔西正面への指向性窺わせるが、確実にそれとされるのは、11世紀末に建設されカーンのサンティティエンヌ聖堂1077年)である。装飾のない厳格な構成であるが、サンティティエンヌの西端部北部フランスでその後採用され続け、やがて盛期ゴシック建築標準的な形式となった複数の塔を建設することは中世ヨーロッパ建築大きな特徴で、確証はないものの、当時大聖堂多く三つ上の塔を備えていたと考えられる。これに対してイタリア半島では西構えそのものがほとんど採用されなかったので、教会堂から独立した単塔(鐘楼)を西正面建設する形式好まれた。アルプス以北地域でも単塔は西正面建設されることがあったが、しばしば、カルドーナのサン・ヴィセンテ・デル・カスティーリョ聖堂のように、西面ではなく東の内陣塔として建設されることがあった。

※この「西正面と塔」の解説は、「ロマネスク建築」の解説の一部です。
「西正面と塔」を含む「ロマネスク建築」の記事については、「ロマネスク建築」の概要を参照ください。

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