西欧諸国の大航海時代(15~18世紀)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 06:58 UTC 版)
「帆船」の記事における「西欧諸国の大航海時代(15~18世紀)」の解説
ポルトガルのエンリケ航海王子(1395年 - 1460年)は、アフリカ大陸の金山・東方のキリスト教国プレスター・ジョンとの接触・インド航路を再開拓するために、船乗りの援助や帆船の改良に力を注いだ。 コンスタンティノープルの陥落以後、東方との交易はイスラム商人が高い関税をかけていたため、直接、中国やインドなどから陶磁器、鉄製品、綿織物、香料、香辛料、絹などを入手するルートを開拓する必要があり、帆船には様々な改良が加えられた。それまでの帆船は1本マストであったが、この頃から3本マストの帆船が現れる。キャラベル船の誕生はそれまでの西欧の貧弱な帆船と比べ活動範囲を大幅に拡大した。キャラベル船は3本のマストに三角帆(ラテン帆)を採用することで、逆風でも前進できることが特徴である。 クリストファー・コロンブスの第一回目の航海におけるサンタ・マリア号の僚艦、ニーニャ号とピンタ号がキャラベル船である。15世紀、キャラベル船とほぼ同時期に開発されたキャラック船は、遠洋航海においてそれまでの西欧の旧型帆船と比べ多量の輸送を可能にし、大西洋やインド洋を越えインドや中国との南海交易に参加することを可能とした。 コロンブスによるアメリカ大陸の発見(1492年)、ヴァスコ・ダ・ガマによる喜望峰を経由するインド航路の再利用(1498年)がなされた。1519年から1522年にかけてフェルディナンド・マゼランによる世界一周航海がなされている。
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