西欧社会での受容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/24 12:01 UTC 版)
いままでのゆるやかな衣服と違って体のラインもあらわな衣装は、西欧社会には大変な驚愕を持って迎えられた。 マインツの年代記の1367年の記事には「当時、人間の愚かさも極まり、若者は恥部も尻も隠れない短い上着を着た。お辞儀をすると尻が見えるのだ、何たる信じ難き恥ずかしさよ!」と嫌悪感もあらわに記されている。 サン・ドニ大年代記では、クレシーの戦いの敗北はフランス人が恥知らずな短い衣装にうつつを抜かしたことに神が怒った結果と断じている。「中にはごく短い服を着ている人もいて、ある人にお辞儀をすると後ろに立っている人にズボン下やその下まで見えた。このズボンはたいへんきつかったので、脱ぎ着に皮を剥くかのように人の助けが必要だった。」 女性のコタルディについてはここまでの嫌悪感は抱かれなかったようだが、貴婦人たちは新式の衣装であらわになったほっそりした腰のラインを見せびらかすためにシュールコーの脇を大きく刳り、聖職者を激怒させた。また、裾を長く引きずることが大流行しヨーロッパ中の女性が長い引き裾を引くことに熱狂した。シュレジエンの都市クロイツブルクでは、市民の女性に4エレか5エレまでの引き裾を引くことを許可しており、貴婦人の引き裾ははるかに長いものだったことがうかがわれる。引き裾も聖職者の怒りを買い、フランシスコ会では、告解に訪れた婦人のうち引き裾を付けている者に許しを与えることを拒絶した。
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