西園寺公望と立命館とは? わかりやすく解説

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西園寺公望と立命館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 09:24 UTC 版)

学校法人立命館」の記事における「西園寺公望と立命館」の解説

西園寺公望1869年 私塾立命館」を創設。(中川小十郎{後の立命館大学創立者}の郷里人間多数学生となっている。)京都府庁太政官留守官)の差留命令により1年弱で閉鎖された。公望は私塾立命館閉鎖させた際、大層残念に思い再興を誓う。 その後継いだのが秘書官中川小十郎だった。現在の立命館大学は、文部大臣当時秘書官中川小十郎がその名跡譲り受けたもので、大学組織としての直接繋がりはないが、公望は事実上創立者1人として京都法政学校(現・立命館大学創立にあたり有形無形支援行った西園寺公望実弟末弘威麿学園幹事就任同じく実弟住友財閥当主徳大寺隆麿(住友友純)による大口の寄付を行うなど、西園寺自分の持つ政治力人脈金銭等を用い京都法政学校立命館大学)に協力した。また教育面での貢献大きく中でも彼の寄付した書籍は現在も「西園寺文庫」として立命館大学貴重なコレクションとして保存されている。 1回目寄贈1925年5月行われた。これは立命館大学旧制)が大学令による昇格条件を満たすために為されたもので、英仏187であったその後1930年10月16日和漢書300冊、1938年6月には西園寺家伝来和綴本739部881冊の寄贈為された。 この和綴書には、宮中儀式有職故実関係、改元記録和歌関係などの貴重文書が含まれている。そして最後、すなわち4回目寄贈1940年5月行われている。 この最後寄贈資料和漢書6,671冊にもおよび、西園寺公が特に愛読していたと思われるものが大量に含まれているのが特徴とされる。また公望は西園寺家家紋である「左巴」の旗を立命館大学使用することを許可しており実際に使用されていた。中川小十郎が「立命館」の名称を用いることを公望に申し出た際には『立命館』の名称と精神継承立命館再興)を大層喜び、『立命館由緒』の大扁額与えた。 のちに公望は「余が建設せる立命館の名称と精神継承せる貴学」と現在の立命館大学のことを述べており、彼の作った私塾立命館引き継ぐ存在としてその後立命館大学に関わった。公望が没した1940年立命館大学は、創立その後の教育大きく貢献した西園寺公望立命館大学の「学祖」と取り決めた西園寺家立命館大学交流現代続いており、大学行事西園寺家人々出席している。

※この「西園寺公望と立命館」の解説は、「学校法人立命館」の解説の一部です。
「西園寺公望と立命館」を含む「学校法人立命館」の記事については、「学校法人立命館」の概要を参照ください。

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