複数の「山本屋」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 04:20 UTC 版)
「味噌煮込みうどん」の記事における「複数の「山本屋」」の解説
両雄とされる「山本屋本店」「山本屋総本家」のほかに、名古屋には「山本屋」を冠する単独経営の店舗もある。チェーンを展開する「山本屋総本家」および単独経営の「山本屋大久手店」(有限会社山本屋、本社: 名古屋市千種区大久手 https://a-yamamotoya.co.jp/)は、沿革を以下のように説明している。 大正後期、大須には「山本にこみ」という名前の店が存在した(1923年(大正12年)の地図で存在が確認できる)。1925年(大正14年)、「山本にこみ」を引き継いだ(買い取ったとも)のが島本万吉・きぬ夫妻である。島本夫妻の実子は跡を継がず、店で働いていた町田雪枝とその夫の守一(しゅういち)が店を受け継ぎ、山本屋を「山本屋総本家」に改めて発展させた。町田夫妻には4人の子供が生まれ、4人の子供がそれぞれ山本屋総本家を引き継いで拡大した。「山本屋総本家」「山本屋大久手店」ともに1925年(大正14年)創業とし、島本夫妻を初代、町田雪枝・守一夫妻を2代と数える。 株式会社山本屋総本家の会社概要によれば、系列会社の合資会社山本屋(事業内容は飲食店舗経営(味噌煮込うどん専門店))が大正14年に大須にて創業という発祥を記している。第二次世界大戦中の中断をはさみ戦後に営業を再開、昭和29年に合資会社山本屋が設立された。株式会社山本屋総本家(事業内容は乾麺販売・卸・製造)は昭和44年に「山本屋食品株式会社」として設立され、昭和50年に株式会社山本屋総本家と改めた企業である(株式会社山本屋総本家の代表取締役が町田姓)。 町田雪枝・守一夫妻の長女の昭代(あきよ)は、大須の中公設市場で八百屋「浅仲商店」を経営していた浅井仲治(なかはる)と結婚し、浅仲商店の屋号を「山本屋」を改め、味噌煮込みうどんの店舗を金山や東新町、大久手などに構えた。これが山本屋大久手店につながるという(島本夫妻を初代、町田夫妻を2代、浅井夫妻を3代目として、当代で5代目という)。このほか、守一の孫に当たる人物が「山本屋町田」(中区丸の内)を開いている。 チェーン展開で先行した「山本屋本店」は明治40年創業と掲げるが、これは島本万吉が屋号を買い取った店(「山本にこみ」)の創業年という。1952年(昭和27年)、大須の山本屋に鰹節を卸していた乾物商の市村彦一郎が太閤通りでうどん店を開業したのが直接のルーツで、開業の翌年に島本氏に屋号「山本屋」の利用許可を得て出店した。(株式会社山本屋本店の会社設立は昭和35年である)。 山本屋総本家 本家(愛知県名古屋市中区栄) 山本屋本店 大門本店(愛知県名古屋市中村区太閤通)
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