複数の"吉田書簡"
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 14:23 UTC 版)
3月4日、張群秘書長が吉田・蔣の会談記録と「中共対策要綱」を吉田に送り確認を求めた。これに対し吉田は、会談記録中の"インド"を"インドネシア"に修正する依頼とその他の点において誤りがない旨を4月4日付けの書簡で返答した。台湾側はこれを"吉田書簡"と呼称し、吉田が池田首相の了承を得た証拠としている。 3月からビニロン・プラントを巡って日台の事務レベルでの折衝が行われた。吉田も3月10日付けで張秘書長に書簡を送り、日本国政府はビニロン・プラント輸出について当面許可しない方針であり、この問題については大平正芳外相が訪台し両国関係が正常化した後に十分話し合いたい・中華民国の新駐日大使派遣を求める、などの旨を伝えた。 しかしその後台湾側の姿勢は再び硬化し、張秘書長が4月10日に吉田に対し「日本国政府が政府銀行を経由し(ビニロン・プラントに)クレジットを与えない、また今後対大陸民間貿易に政府は介入しない方針を守ることを保証するよう、池田総理に再度相談して欲しい」と要望が出された。これに対し吉田は、池田は大陸向けプラント輸出に関する金融を純粋な民間ベースで進めたい意向である・本年中にはビニロン・プラント輸出を認める考えはない、との5月10日付書簡を張秘書長に出した。これを受けて魏道明が新台湾大使として日本に派遣された。
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