製作前および発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 14:50 UTC 版)
「ウィズ (映画)」の記事における「製作前および発展」の解説
『ウィズ』はベリー・ゴーディのモータウンの映画・テレビ部門であるモータウン・プロダクション8本目のフィーチャー映画であった。元々ゴードンはブロードウェイでドロシー役を演じたことのある当時10代であったのちのリズム・アンド・ブルース歌手ステファニー・ミルズをドロシー役に配役するつもりであった。当時33歳であったモータウンのスターのダイアナ・ロスがゴーディに自分はドロシー役にどうか尋ねた際、役には年齢が上過ぎると語った。ロスはゴーディを説得する一方、エグゼクティブ・プロデューサーであるユニバーサル・ピクチャーズのロブ・コーエンに自分をドロシー役にすれば映画をプロデュースするという方向に持って行った。最終的にゴーディとコーエンはこれに合意した。映画評論家のポーリン・ケイルはロスが役を獲得したことについて「映画史に残る強烈な一例」とした。 映画監督ジョン・バダムはロスがドロシー役に配役されたことを知って監督を降り、コーエンは後任にシドニー・ルメットを監督に据えた。バダムはこの降板に関してのちにコーエンに、「ロスは素晴らしい歌手である。そして素晴らしい女優でありダンサーであるが、このキャラクターではない。彼女は『オズの魔法使い』の6歳の少女のドロシーとは違う」と語った。20世紀フォックスは舞台版の経済的後援をしており、映画製作の先買権があったがユニバーサルに譲った。当初ユニバーサルは作品の成功を見込み、製作予算に限度をつけなかった。 ジョエル・シュマッカーによる『ウィズ』の脚本は、シュマッカーとロスが信奉しているワーナー・アーハードの教えやその自己啓発セミナーであるアーハード・セミナーズ・トレーニング(est)の影響を受けている。コーエンは「映画は自分探しと自分語りでestの専門用語を使用したest風寓話になると思った。そんな話は好きではない。しかしロスはestのセミナーを受けたことがあり、彼女がその脚本を認めるのであれば彼女と議論するのは難しい」と語った。シュマッカーはestのトレーニングを受けた結果を好意的に語り、「これまでの人生に永遠に感謝することを学んだ」と語った。しかし彼はまた「皆それぞれ自分の道を歩み、過ちをおかしている」と語った。『グローヴ・ブック・オブ・ハリウッド』によると、映画終盤の良い魔女グリンダが「est風の決まり文句」を繰り返しているとし、また使用曲『Believe in Yourself』がest風であるとしている。 映画製作中、ルメットは映画が完成したら「かつて誰も見たことない個性的な映画」になると感じていた。メトロ・ゴールドウィン・メイヤーの1939年の映画『オズの魔法使』から影響を受けている可能性について尋ねられると、ルメットは「1939年の映画や他のものから何も影響を受けていない。素晴らしい映画ではあったが、コンセプトが違う。彼らはカンザス州で私たちはニューヨーク州、彼らは白人で私たちは黒人、使用楽曲も脚本も全く違う。私たちはどの分野とも重ならないことを確信している」と語った。 以前モータウンに所属していたマイケル・ジャクソンは1975年に兄弟のジャクソン5と共にエピック・レコードに移籍し、1977年の『ウィズ』製作開始当初から関わりカカシ役に配役された。ジャクソンは役の動きを研究するためガゼル、チーター、ヒョウのビデオを見た。臆病ライオン役のテッド・ロスと西の悪い魔女役のメイベル・キングはそれぞれ舞台版でも同じ役を演じていた。レナ・ホーンは当時ルメットの義母で、良い魔女グリンダに配役された。ニプシー・ラッセルがブリキ男役に、コメディアンのリチャード・プライヤーがウィズ役に配役された。
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