衰退とその後の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 22:30 UTC 版)
19世紀末のエジソンによる蓄音機の発明により、自動演奏装置は新たな技術的開発がなされなくなり、電気の普及により機械仕掛けの動力もまた根本的に変わっていった中で、オートマタが持つ神秘性や驚きは新鮮なものではなくなっていった。前時代的なもののイメージになり、趣味としてまたアンティークとして扱われるようになる。20世紀には電動オートマタも作り始められたが、かつてほどの注目を集めることはなかった。一定の動きの記録媒体はシリンダーだけでなく、19世紀には穴を開けたカードによる制御方法も考案された。織機やオートマタにもこの技術は応用され、パンチカード方式として、後の自動演奏ピアノ、計算機、コンピュータにも応用される技術となった。からくりとしての機械人形は、オートメーションとなり、やがてロボットと呼ばれ、一定のシークエンスを命令によって制御する技術の概念として残っている。蓄音機が携帯型音楽プレイヤーとなり、自動演奏装置はMIDIにおけるミュージックシーケンサーの概念そのものとなった。 20世紀後半、オートマタのほとんどは収集家や博物館によって保管され、修復が続けられた。なかでも1928年生まれのミッシェル・ベルトラン(Michel Bertrand)はJAF社での経験を生かし、伝統的なゼンマイ式のオートマタを製作する傍ら、ほぼ壊れかけているような古いオートマタの修復を、忠実な再現を目指し精力的に行った。18世紀から19世紀当時の最先端の技術や部品には、規格がほとんどないため歯車ひとつをとっても独自のサイズとなっていることから、材料の確保が年々難しくなっている。現在[いつ?]でもフランソワ・ジュノ(François Junod)達が製作している。日本でも複数のオートマタ作家が活躍している。
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