衰退と『ライム&リーズン』(1984年–1986年)
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グループはデビューを実験的なアルバム『ライム&リーズン』(1984年)でフォローアップしたが、これはコマーシャルな作風でもなく重要な成功を導くものでもなかった。「Surrender Your Heart」のビデオはピーター・マックスによってデザインされ、MTVで放送されたが、シングルとしてはHot 100に到達できなかった。チャートに反応があったのは「ギヴ!」1曲だけであった。チャック・ワイルドはこのアルバムの後にミッシング・パーソンズを脱退し、代わりのメンバーが加入することはなかった。 キャピトル・レコードは、バンドの方向性と商業的な低迷に満足していなかった。そこで、サード・アルバムのプロデュースは、パワー・ステーションのアルバムを手がけたばかりで、実績あるヒットメーカーとなっていたシックのバーナード・エドワーズに託された。その結果、1986年6月に、よりポピュラーなアルバム『カラー・イン・ユア・ライフ』がリリースされたものの、「ダンスはキライ」というマイナー・ヒットしか生み出せなかった。 1986年、『カラー・イン・ユア・ライフ』の短期間のプロモーション・ツアー中に、テリーとデイル・ボジオの間の緊張が高まったことで、ツアー、2人の結婚生活、バンド、そのすべての終焉へとつながった。
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