行政単位と郷社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 09:58 UTC 版)
「近代社格制度#分類」も参照 明治以前の行政の最小単位として「村」、いわゆる自然村が存在した。自然村では集落単位の共同生活が営まれたが、その要素の1つに氏神祭祀が存在し、一村一社の体制が成立していた。明治政府はこの体制をそのまま受ける形で、これを郷社に指定する(郷社定則)。そのため、郷社は当時の自然村とほぼ同等の18万社余存在した。のちの社格としては郷社、村社、無格社に相当する。 郷社定則 一 郷社は凡戸籍一区に一社を定額とす仮令は二十ヶ村にて千戸許ある一郷に社五ヶ所あり一所各三ヶ村を氏子場とす 此五社の中式内か或は従前の社格あるかまたは自然信仰の帰する所か凡て最首となるべき社以て郷社と定むべし 余の四社は郷社の附属として是を村社とす 其の村社の氏子は従前通り社職も従前の通りにて是を祠掌とす総て郷社に附す (郷社に附すと雖も村社の氏子を郷社の氏子に改るにはあらず村社氏子元のままに郷社に附するのみ) 郷社の社職は祠官たり村社の祠掌を合せて郷社に祠官祠掌あること布告面の如し (但し祠掌は村社の数によれば幾人もあるべし) 一 従前一社にて五ヶ村七ヶ村の氏子場数千戸にし内外にして粗戸籍一区に合するものは乃ち自然の郷社たり(祠官一人なれば更に祠掌を加ふも許すべし) 一 三府以下都会の地従来産土神郷社一社にして氏子場数千なるものは戸籍の数区に亘ると雖も更に郷社を立て区別するに及ばず 一 官社又は府藩県社にて郷社を兼るものあり仮令は東京日吉神社京都八坂神社の如き氏子場数万戸に亘るといえども更に郷社を建てず固より区別に及ばざること上件の如し 一戸籍区に一つ、その地域の代表的な神社を郷社とし、他の神社は郷社に附属する。但し、村社の氏子は従来通りその神社の氏子とする。 昔からの数ヶ村に亘る氏子数数千戸を持つ神社は自然と郷社とする。 官社、府藩県社でも氏子が数万戸ある神社は郷社とし、新たな神社を設けない。 氏子調廃止後は、必然的に郷社は行政機能を喪失することとなるが、郷社定則は廃止されず近代の氏神・氏子制度の基本として存続し、現代の氏子区域の基となった。その後、市政町村制度の施行や、いわゆる「明治の大合併」による行政区分の整理によって自然村(行政村)が減ると、一村一社の存在意義は薄れ、1906年(明治39年)の神社合祀令を経て、全国の神社の数は明治末期には11万社余にまで数を減らした。 神社合祀における南方熊楠の批判に見られるように、神道に関する宗教政策はしばしば地方行政との混合が存在していた。
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