ムソルグスキー:村にて
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ムソルグスキー:村にて | Au village | 作曲年: 1880頃年 |
作品解説
ムソルグスキーが41歳の時(1880年)に作曲されたと考えられている。この作品は、サンクト・ペテルブスルクの雑誌『新報』に掲載されている。そして、ムソルグスキーの友人にあたる俳優、I. F. ゴルボノフの舞台活動25年を祝して彼に捧げられている。
4分の4拍子のこの曲の冒頭には、「ラルゲット」と共に、「幻想曲、民謡風に」と併記されている。この曲の構成としては、明記されてはいないものの、ある種の変奏曲の形をとっている。まず、8小節の主要なテーマが提示される。その前半は単旋律で提示され、後半から左手が添えられている。続いて、このテーマそのものには手を加えることなく、4声体のコラール風に再度提示される。そして、その次にもう一度提示される際には、テーマの休符は取り除かれているが、主要なラインは変わらない。また、3声体で扱われているものの、低音がオクターヴで重ねられ、内声も重音を響かせるため、テクスチュアは逆に厚めとなっている。ここでは、メーノ・モッソ・グランディオーソとなり、テーマには「マルカート・イル・カント」の指示が、低音には「イル・バッソ・ベン・マルカート」の指示がなされている。そして、ここに続く部分からテーマにも手が加えられ始める。また、拍子もこれ以後4分の2拍子に変化する。まず、アッレグレット・スケルツォーソ・ノン・トロッポ・アレグロで左右の手が交互に弾く8分音符による1本のラインと右手の見の1本のラインが交互に現れる。続いて、ア・テンポ・ノン・アジタート(アッラ・ジンガーラ)となり、2拍目を強調しながら、テーマに基づく3声を主体とした部分が置かれている。そのようにして、テーマを手法を変えながら3回ほど提示した後、曲を締めくくる。
村にて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 20:47 UTC 版)
近江の国琵琶湖北岸の村に暮らす貧農の源十郎は、畑の世話をする傍らで焼物を作り町で売っていた。賤ヶ岳の戦いの前に長浜が羽柴秀吉の軍勢により占領され、賑わっていることを知った源十郎は、妻の宮木と子を残し、焼物を載せた大八車を引いて長浜へ向かった。義弟の藤兵衛は、侍になりたいと源十郎に同行する。源十郎は大銭をもって村へ帰ってきた。藤兵衛は市で見かけた侍に家来にするよう頼み込むが、具足と槍を持って来いとあしらわれる。 源十郎は戦が続くうちに、さらに焼物を作り大儲けをしようと、人が変わったように取り組むが、宮木は親子3人が幸せに暮らせればそれで充分なのに、とつぶやく。源十郎と藤兵衛は焼物を窯へ入れ、火を付けるが、折り悪く柴田勝家の軍勢が村へ近づいて来た。男は人足として徴用され、女は乱暴される、と村の人々は山へと逃げだす。窯の火は消えていたが、焼物は綺麗に焼けていた。
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