蕃坊とは? わかりやすく解説

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蕃坊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 03:14 UTC 版)

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蕃坊(はんぼう、ばんぼう)は代より中国で形成された外国商人の居留地である。番村、番坊ともいう。一般に、西域経由のムスリムは胡人(ウイグル人、ソグド人など)と同一視され、南海経由のムスリムは非ムスリム(啓典の民やゾロアスター教徒、ヒンズー教徒)などと共に番人・番民と呼ばれた。コーカソイドやオーストラロイドのアラブ人・ペルシャ人・インド人のほか、代に海南島に移住したチャム人ムスリム(オチャ Utsat)など、モンゴロイドのムスリムも番民と呼ばれ、所三亜番村=いま三亜市回新村あたりに居住した(回回、回民とは呼ばれなかった)。

盛唐、8世紀初め、広州市舶司が設置され、広州が長安・洛陽や揚州に向かうムスリム商人の基地となった。これに応じてムスリムなど外国商人の居留地域が形成されたことが蕃坊の起源とされる。唐代の市舶司は広州のみにあったため、アラブ人・ペルシャ人著述家によるアラブ史料にみえる交易都市Khanfuも広州(広府)に比定され、蕃坊はここに集中していたと考えられている(Khanfu については、広府=広州ではなく、邗府=揚州とみなす意見もある)。9世紀なかば、Yan Shaw(黄巣?)率いる反乱軍によりKhanfuに居住していた多くのムスリムが殺害されたというアラブ史料[1]が残されており、広州大虐殺と呼ばれる。ただし、「旧唐書」「新唐書」の黄巣の乱関係記事には該当するような虐殺の描写は無い。

宋代以降、蕃坊は寧波などのほかの中国沿海各都市にもみられた。

脚注

  1. ^ 878年広州大虐殺を、ペルシャ人のアブー・ザイド(Abu Zayd Hasan As-Sirafi)が記録している。

関連項目



蕃坊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 21:15 UTC 版)

唐朝におけるイスラーム」の記事における「蕃坊」の解説

唐を訪れたムスリム毎日礼拝漢民族との文化の差から自然に一つ地域集まっていった。唐はこれを蕃坊とし、蕃坊内の争い処理するために徳や人望があるムスリム一人長」に任命したまた、ムスリム間の係争裁定するために法官任命されイスラーム戒律のっとって判決が行われた。唐の法律である『唐律』には「外国人が、同類の間で案件起こした場合は、本俗法によって処理し異類場合には法律によって処理する」と記されている。851年大中5年)に中国旅行したアラブ商人スライマーン広州の蕃坊について以下のように記した。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}広州には、イスラム教管理者一人おり、モスクも一ヶ所ある。各地から来たイスラム教商人が、広州多く住んでいるため、中国の皇帝は、一人イスラム教裁判官任命しイスラム教風俗によってムスリムたちを治めさせるようにした。 —スライマーン 元代広州訪れたイブン・バットゥータは以下のように記した。 この大都市一部にはイスラーム教徒の街がある、彼らは同地寺院旅舎・及び市場有する。さらに法官と教長を置いて居る。ただこの都市以内限らず大凡イスラーム教徒在留するとしには、均し法官と教長とが居る。 —イブン・バットゥータ 広州の蕃坊では本国カリフの名を読み上げて金曜礼拝が行われた。 安史の乱吐蕃が唐と西域との交通断ったことにより、やむを得ず長安取り残され胡人蕃客役所からの給与頼って生活していた。それから何十年が経過した徳宗時代に、このような優遇享受したまま長期滞在している外国人問題になり、宰相李泌戸籍調査したところ4,000余り蕃客胡人長安定住していることが判明した李泌はこれに対し給与停止するように命じ、「外国使者身分で、首都何十年もいて、帰ろうとしないものがいるか。直ちに国に帰るか、あるいは職について俸給を得るか決定しなさい。」と述べた。これを受けた胡人蕃客は、十数人を除いてほとんどが仕事得てそのまま長安居留した。

※この「蕃坊」の解説は、「唐朝におけるイスラーム」の解説の一部です。
「蕃坊」を含む「唐朝におけるイスラーム」の記事については、「唐朝におけるイスラーム」の概要を参照ください。

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