蕃書調所の設立とは? わかりやすく解説

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蕃書調所の設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 04:55 UTC 版)

古賀謹一郎」の記事における「蕃書調所の設立」の解説

老中阿部西洋学問受容必要性痛感していたため、安政2年1855年8月30日一郎阿部より直々に洋学所頭取校長)に任命された。蘭書翻訳教育機関構想練り勝麟太郎とともに草案作成し同年9月蕃書調所設立案を提出した。この提案が元となり、安政4年1857年正月蕃書調所正式に開設されることとなった。 謹一郎日本初洋学研究教育機関として発足した蕃書調所頭取校長)として、国内著名な学者招聘する。すでに蘭学者として高名だった箕作阮甫教授として招いたのを始め教授見習として三田藩川本幸民周防出身の手律蔵村田蔵六(のちの大村益次郎当時宇和島藩出仕)、薩摩藩松木弘庵(のちの寺島宗則)、西周助(のちの西周)、津田真一郎(のちの津田真道)、箕作秋坪中村敬輔(のちの中村敬宇)、加藤弘之ら、幕臣のみならず各藩俊才含め幅広く採用した蕃書調所当初蘭書翻訳目的としたが、英語の隆盛鑑み英語・フランス語ドイツ語教授も行わせた。特に入獄であった堀達之助才能惜しみ、謹一郎便宜図って出獄させ、日本最初英和辞典英和対訳袖珍辞書』を作らせている。

※この「蕃書調所の設立」の解説は、「古賀謹一郎」の解説の一部です。
「蕃書調所の設立」を含む「古賀謹一郎」の記事については、「古賀謹一郎」の概要を参照ください。

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