英米の論争 - 第7回ワシントンDCその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 15:25 UTC 版)
「バリーモス」の記事における「英米の論争 - 第7回ワシントンDCその後」の解説
この知らせはイギリスでも大きな驚きを持って迎えられた。『デイリー・エクスプレス』紙の一面トップの見出しは「ビッグ・レース・センセーション」で、各紙にも同様の見出しが躍った。バリーモスの3着はブックメーカーを喜ばせたが、イギリスのルールであればテューダーエラは最下位となり、バリーモスが2着に繰り上がっていた筈なのも波紋を呼んだ。同紙でクライヴ・グレアムは、「バリーモスのこのシーズンの他の唯一の敗戦は、似たような〔小回りの〕チェスターのオーバルトラックだった」と指摘した。影響力の大きい『ロンドン・タイムズ』は、「イギリスのレースファンは、テューダーエラがバリーモスに先着したというニュースに呆然とした。このアイルランド馬は、この20年で最も偉大な競走馬の一頭だったが、テューダーエラがこの国にいた頃はそうした存在ではなかった。」とし、その結果、「これが描くのは、海の向こうの国際競走の将来への障壁となることのように思われる」「バリーモスは走りで少々の運に恵まれなくても問題なく勝てる筈だった」「バリーモスが失敗することが有り得るならば、将来のすべてのチャンピオンの旅に、馬主が冒険を躊躇させるような次元のリスクがあることは間違いない」と論評した。 『タイムズ』の懸念にかかわらず、ワシントンDCインターナショナルは1984年にブリーダーズカップが創設され衰退するまで国際競走として命脈を保ったが、イギリスのこの騒ぎの知らせはアメリカ合衆国にまでもたらされた。翌日、このレースのオーガナイザー、ジョン・D・シャピロは異例にもこれを取り上げ見解を述べた。 シャピロは、スタートの不手際と降着が混乱を招いたことを承知していたが、海外からの参加を危うくする論調に対しては、「『ロンドン・タイムズ』の解説者は7回のワシントンDCインターナショナルで5回は外国からの登録馬が勝っているという事実を見過ごしているようだ。」と反論し、今回の優勝馬が15,000マイル離れたオーストラリアから船で来たことを強調した。また、アメリカ合衆国の有力競馬紙『モーニング・テレグラフ (英語版) 』のパーマー・ヒーガーティの記事を引用した。「ブリースリーは私が言うところの消極的な騎乗で、どこでいつ仕掛けるか明らかに決めかねていた」「ターンを全て回り終える前に一気に巻き返していったときには、うまくレースしているように見えた。先の出来事を取り返し、優勝争いに残る勢いと能力を見せた。」「直線の初めで追われると、バリーモスには単に、騎手や支持者が期待したほどの走力がなかった」「我々の観戦記者の一部は短い直線を敗因とする見解だが、私はこの見方には同意できない」。競馬場の職員は、ヴィンセント・オブライエンもこのレースには特に不満は抱いていないとし、調教師が前日当地を去る際に彼らに言った発言を引用した。「来年別の馬で戻って来たい。このレースを是非勝ちたいんでね。」。レース直後にこう言っていたとも付け加えた。「まあ、これが競馬なんだ」。 ローレル競馬場の同僚の一人はシャピロより辛辣だった。「彼らが我々を失敗だ、おかしい、というのは馬鹿げているように見える」「人気馬や本命馬が負けるのは珍しいことではない。ネイティヴダンサーを聞いたことがないのか?」 と語った (ネイティヴダンサーは生涯22戦21勝、2着一回でその2着となったレースは1953年のアメリカ三冠初戦、ケンタッキーダービーだった。このレースにおけるネイティヴダンサーのオッズは0.7対1 (1.7倍) 。勝利を収めていればネイティヴダンサーはアメリカ競馬史上9頭目の三冠馬、かつ史上初の無敗の三冠馬となっていた可能性があった。) 。
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