英米ダービー馬対決(1923年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/19 20:34 UTC 版)
「ゼヴ」の記事における「英米ダービー馬対決(1923年)」の解説
同年8月19日、イギリスのダービーステークス優勝馬であるパパイラスの馬主・ベン・アイリッシュは、イギリス最強のパパイラスに対する挑戦者が現れたとして、アメリカ最強3歳馬との4,000ポンドの賞金を懸けた対決を行う旨を発表した。8月31日、アメリカのジョッキークラブは10月20日であれば場所をアメリカのニューヨークで用意できること、また賞金として勝者に100,000ドル、敗者に2,000ドルを用意できることを提案し、アイリッシュもこれに同意した。そして、アメリカ側の挑戦者として白羽の矢が立ったのがゼヴであった。パパイラスの側も長時間の輸送などで万全とは言えなかったが、一方のゼヴもマッチレースの2週間前に蕁麻疹を発症、回復したため事なきを得たが、一時は代わりの馬を用意することが検討されたほどであった。 10月20日の土曜日当日のベルモントパークは、前日の夜に激しく降った雨の影響で、泥沼のような状態であった。この12ハロンのマッチレースには50,000人の観衆が詰めかけ、彼らが1番人気に選んだのはパパイラスのほうであった。レースが始まって先に飛び出したのはパパイラスのほうで、しかしパパイラス鞍上のスティーブ・ドナヒュー(英語版)はこれを抑えてゼヴの後方に下げ、その視界に入れて進むことを選んだ。この後方につける戦略は滑りやすい路面において裏目に出て、パパイラスはゼヴに追いつけないまま、そしてゼヴはさらに突き放して5馬身差での勝利を手にした。パパイラスの調教師バジル・ジャービスは、ヒルドレス調教師に「称賛を送りたい、この競走はあなたの勝ちだ」と語りかけたという。
※この「英米ダービー馬対決(1923年)」の解説は、「ゼヴ」の解説の一部です。
「英米ダービー馬対決(1923年)」を含む「ゼヴ」の記事については、「ゼヴ」の概要を参照ください。
- 英米ダービー馬対決のページへのリンク