英国による占領期
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1763年、英国は武力によらず巧みにサンマルコス砦の支配を手に入れた。七年戦争後のパリ条約の条項で、イギリスは七年戦争中に占領したハバナとマニラをスペインに返還することと引き換えにスペイン領フロリダすべてを獲得した。1763年7月21日、スペイン人総督はイギリス人総督にサンマルコス砦を明け渡した。イギリス人総督はセントオーガスティンを東フロリダ植民地の首都に定めた。東フロリダ植民地はイギリス国王ジョージ3世の1763年宣言によって成立したものである。 イギリス人は要塞にいくつかの変更を施し、聖マーク要塞 に改名した。大英帝国が北アメリカの支配勢力だったので、要塞を最上の状態に維持しようと煩う必要はなかった。この態度はアメリカ独立戦争勃発まで優勢だった。要塞は独立戦争の間、軍刑務所として利用された。投獄された者の中にはサウスカロライナの副総督クリストファー・ガズデンもいた。ガズデンは大陸会議の代議員でもあり、戦争中は大陸軍(Continental Army)の准将でもあった。彼は11か月後、保釈された。 アメリカ南部に対するイギリスの作戦基地としての新たな役割を与えられて要塞の改良が始められた。ゲートと城壁は補修され、居住能力を増すために2階にいくつかの部屋が加えられた。セントオーガスティンは幾度かジョージア植民地からの遠征目標にされたが(中断された)、要塞は独立戦争中、主に刑務所として使用された。イギリスがチャールストンを奪った時に、そこで捕らえられた独立戦争の戦士が幾人が収監された。独立戦争中の1779年、スペインはイギリスに宣戦布告した。聖マーク要塞から軍は引き揚げたが、イギリスの占領自体は継続した。スペイン領ルイジアナ(英語版)の総督ベルナルド・デ・ガルヴェス(英語版)はイギリスが支配する西フロリダの諸都市を攻撃し、すべて占領した。イギリスの唯一の主要な軍事作戦(セントオーガスティンから出撃した軍を用いた)は調整が稚拙ではあったがジョージア州のサバンナ占領に成功した; サバンナはセントオーガスティンからの軍が到着する前にニューヨークから来た軍によって占領されていた。 戦争終結時、1783年パリ条約はフロリダをスペインに返還するよう呼びかけていた。1784年7月12日スペイン軍はセントオーガスティンに戻って来た。
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