芸術作品中のハイベリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/09 08:33 UTC 版)
「ハイベリー」の記事における「芸術作品中のハイベリー」の解説
1965年から40年間、ハイベリー・ニュー・パークはウェセックス・サウンド・スタジオズ(英語版)の本拠地だった。このスタジオは、ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティン(ハイベリー地区ドレイトン・パーク生まれ)が設立したもので、クイーン、ジェネシス、ローリング・ストーンズ、セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュなどの有名アルバムも多数収録されている。スタジオのあった建物は、現在「ザ・レコーディング・スタジオ」と呼ばれる住居区画にあり、住所は「ハイベリー・ニュー・パーク106番地」である。 ハイベリーには、ウェセックス・スタジオズと同じ通りに、映画・テレビ・録音スタジオのハイベリー・スタジオズ(英語版)も存在した(住所はハイベリー・ニュー・パーク65A番地)。スタジオは、隣接した廃教会堂を使ってトレーニング・スクールを開設していた。元々1890年に音楽学校として建てられたこの施設は、1926年にピカディリー・レーベル(英: the Piccadilly)のレコーディング・スタジオになった。1933年には名前を『ハイベリー(フィルム)スタジオズ』と名前を変え、1945年にはランク・オーガナイゼーション(英語版)の傘下に入った。経済難から、ランクはスタジオを閉鎖し、建物も1960年に取り壊された。現在ではフラット『アテナウム・コート』がこの位置を占めている。 以下の本や映画には、ハイベリーに関する言及がある。 本 "A London Family 1870–1900"、モリー・ヒューズ(英語版)作、ISBN 0-19-282896-7。特にハイベリー・ニュー・パークへの言及がある。 2002年の英国映画 "Killing Her Softly" は一部がハイベリー・ニュー・パークで撮影された。 1997年の映画『ぼくのプレミアライフ フィーバーピッチ』(Fever Pitch)は、アーセナル・スタジアム周辺とハイベリー・ヒル沿いで撮影された。 1994年の映画『フォー・ウェディング』は、ヒュー・グラントがハイベリー・コーナーでタクシーを捕まえようとするシーンで始まり、ハイベリー・フィールズ(英語版)を囲む家々の前で映画が終わる。 1939年の映画『ザ・アーセナル・スタジアム・ミステリー(英語版)』は、アーセナル・スタジアム内・周辺で撮影された。 ジョン・ベチェマン(英語版)による詩 "Summoned by Bells" (en)。この自伝詩の中ではハイベリーが何度か登場し、彼が足を運んでいたアバディーン・パークの救世主教会などに言及がある。救世主教会は1980年に閉鎖され、現在ではアート・スタジオが入っている。 ハイベリーはMr.ビーンが住む地区である。 作家のアラン・ムーアは 『beat seance[訳語疑問点]』 をハイベリー内外で記録し、"The Highbury Working"として発表している(The Moon and Serpent Grand Egyptian Theatre of Marvels)。 70年代初頭、BBCのドラマ "The House on Highbury Hill" がハイベリーで撮影された。 ハイベリーはウィリアム・メイクピース・サッカレーの小説『虚栄の市』に登場する。第4章では、セドリィ一家が『オルダーマン・ボールズと食事しにハイベリー・バーンへ行こうよ』と話す。 ジェーン・オースティンの小説『エマ』では、舞台がハイベリーという名の村に設定されているが、この村はサリーに含まれる設定である。 T・S・エリオットの詩『荒地』第3部「火の祈り」(英: The Fire Sermon) にも、"Highbury bore me. Richmond and Kew / Undid me." としてハイベリーが登場する。
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