艦番による艦名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/12 07:37 UTC 版)
八八艦隊計画による大建艦計画により艦名不足が心配され神風型[II]、若竹型より駆逐艦は番号名となった。しかしワシントン軍縮条約により計画は中止、艦名不足の心配は無くなり1928年(昭和3年)8月1日付(同年6月1日、達第80号)で、神風型駆逐艦(第一号型駆逐艦)、若竹型駆逐艦(第二号型駆逐艦)、睦月型駆逐艦(第十九号型駆逐艦)、吹雪型駆逐艦(第三十五号型駆逐艦)等の固有艦名へ改名した。 若竹(わかたけ) 1922年(大正11年)9月30日、川崎造船所で竣工。当初名は「第二駆逐艦」。1924年(大正13年)4月24日、「第二号駆逐艦」に改称。1928年(昭和3年)8月1日、若竹と改名。駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦。1944年(昭和19年)3月30日、パラオ大空襲の際にパラオ湾口にて航空機の攻撃により戦没。 呉竹(くれたけ) 1922年(大正11年)12月21日、川崎造船所で竣工。当初名は「第四駆逐艦」。1924年(大正13年)4月24日、「第四号駆逐艦」に改称。1928年(昭和3年)8月1日、呉竹と改名。駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦。1944年(昭和19年)12月30日、バシー海峡にて米潜水艦「レザーバック」の雷撃を受け戦没。 早苗(さなえ / さなへ) 1923年(大正12年)11月5日、浦賀船渠で竣工。当初名は「第六駆逐艦」。1924年(大正13年)4月24日、「第六号駆逐艦」に改称。1928年(昭和3年)8月1日、早苗と改名。駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦。1943年(昭和18年)11月18日、セレベス海北緯55度00分 東経120度00分 / 北緯55.000度 東経120.000度 / 55.000; 120.000地点で米潜水艦「ブルーフィッシュ」の雷撃を受け戦没。 早蕨(さわらび) 1924年(大正13年)7月24日、浦賀船渠で竣工。当初名は「第八駆逐艦」。1924年(大正13年)4月24日、「第八号駆逐艦」に改称。1928年(昭和3年)8月1日、早蕨と改名。昭和7年12月5日、台湾海峡で荒天により転覆沈没。 朝顔(あさがお / あさがほ) 1923年5月10日、石川島造船所で竣工。当初名は「第十駆逐艦」。1924年(大正13年)4月24日、「第十号駆逐艦」に改称。1928年(昭和3年)8月1日、朝顔と改名。駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦、呉で終戦を迎える。が、7日後に関門海峡で触雷大破し浸水着底した。 夕顔(ゆうがお / ゆふがほ) 1924年5月21日、石川島造船所で竣工。当初名は「第十二駆逐艦」。1924年(大正13年)4月24日、「第十二号駆逐艦」に改称。1928年(昭和3年)8月1日、夕顔と改名。1940年4月1日、哨戒艇に類別変更し第46号哨戒艇に改称。パラオ、トラック方面の船団護衛に従事したが、1944年(昭和19年)11月10日、石廊崎沖で米潜水艦「グリーンリング」の雷撃を受け戦没。 芙蓉(ふよう) 1923年3月16日、藤永田造船所で竣工。当初名は「第十六駆逐艦」。1924年(大正13年)4月24日、「第十六号駆逐艦」に改称。1928年(昭和3年)8月1日、芙蓉と改名。駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦、1943年(昭和18年)12月20日、マニラ湾口で米潜水艦「パファー」の雷撃を受け戦没。 刈萱(かるかや) 1923年8月20日、藤永田造船所で竣工。当初名は「第十八駆逐艦」。1924年(大正13年)4月24日、「第十八号駆逐艦」に改称。1928年(昭和3年)8月1日、刈萱と改名。駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦、1944年(昭和19年)5月10日、ルソン沖北緯15度47分 東経119度32分 / 北緯15.783度 東経119.533度 / 15.783; 119.533地点で米潜水艦「コッド」の雷撃を受け戦没。 建造中止:第十四駆逐艦、第二十駆逐艦 計画のみ:第二二駆逐艦、第二四駆逐艦、第二六駆逐艦
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