船内交流電化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 17:44 UTC 版)
鉄道省は1936年(昭和11年)建造の関釜連絡船 金剛丸(7081.74総トン)で日本初の船内電力交流化を行うとともに、大胆な船内電化も行っていた。青函航路でも1939年(昭和14年)建造の車両渡船第三青函丸以降は、金剛丸と同じ三相交流 60Hz 225Vを採用してはいたが、重要な補機類の動力には依然蒸気が使われていた。本船ではこれら補機類の交流電化も積極的に進め、金剛丸で既に採用されていた交流電動油圧式操舵機が、青函連絡船として初めて採用された。これは、7.5kWかご型交流誘導電動機で、回転方向、回転数とも一定ながら、吐出量も吐出方向も無段階に調節できる アキシャルプランジャ式可変吐出量型油圧ポンプ(ジャネーポンプ)1台を駆動し、その油圧でシリンダーを駆動して舵を動かす仕組みであった。操舵は、W型船・H型船と同様、操舵室に設置された浦賀式テレモーターの舵輪を回すことで、テレモーター起動筒で水圧を発生させ、その水圧を細い水圧管で延々と船尾車両甲板下の操舵機室まで伝え、操舵機室のテレモーター受動筒を動かし、その力で油圧ポンプの傾転角を操作して、作動油を左右のシリンダーに注入したり吸引したりしで舵を動かした。また既述の通り国鉄連絡船としては初めて電動式ヒーリングポンプが採用されたほか、各種ポンプ類にも交流電動機が用いられた。 その特性上、交流電動機には不向きとされ、金剛丸では電動発電機を介して直流電動機を回すワードレオナード方式を採用していた係船機械にも、羽根車室内の作動油量を調節してスリップ量をコントロールできるシンクレア流体継手を交流電動機出力軸に介することで、揚錨機やキャプスタンの交流電化を実現した。この方式は従来の汽動式に比べ操作は容易ではあったが、低速回転に限度があり、またそのとき十分なトルクが得られないなどの問題点も指摘された。 このほか、厨房、配膳室には交流電源の電気冷蔵庫、電気レンジや皿洗機も導入された。これらの電源確保のため、機械室には蒸気タービン駆動の出力500kVAという大型発電機が2台装備され、さらに端艇甲板には圧縮空気起動65馬力ディーゼルエンジン駆動50kVA非常用発電機も設置されたが、自動起動ではなかった。
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