自由党 (大韓民国)
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自由党(じゆうとう)は、第一共和国時代の韓国に存在した政党である。李承晩大統領の与党として、1952年に行われる大統領選挙を戦うために1951年12月に結成された。
- ^ 1960年5月29日、四月革命によって退陣に追い込まれていた李承晩はアメリカに亡命し、院外自由党は形骸化した。
- ^ これらの団体は、独立以降活力を喪失しており、李承晩の新党勧誘に敏感に反応し、李承晩の意志-即ち大統領直接選挙制改憲を経ての李承晩大統領再選-を積極的に主張することとなった。木村幹『韓国における「権威主義的」体制の確立-李承晩政権の崩壊まで-』ミネルヴァ書房 130頁
- ^ 事実、李承晩政権下の1952年と1956年(詳細)に行なわれた地方選挙において自由党は、都市部では野党に苦戦した一方で農村部、特に面・邑(いずれも当時の韓国における地方自治体の名称)レベルの選挙で圧倒的優位に立っていた。反対に野党である民主党はソウル市では47議席中40議席を獲得したのに対し、面レベルでは1.5%の議席しか得られなかった。参照:木村幹「第7章 韓国における民主化と「政府党」-「与村野都」から「地域感情」へ-」(東アジア地域研究会 片山裕+西村成雄編『講座 東アジア近現代史4』青木書店、211頁以下)232頁
- ^ 選挙後、不正選挙だとして当選は無効になった。
- 1 自由党 (大韓民国)とは
- 2 自由党 (大韓民国)の概要
- 3 関連項目
「自由党 (大韓民国)」の例文・使い方・用例・文例
- 自由党の機関紙
- 彼らは自由党員たちと同盟した。
- 投票の結果は自由党の勝利だった。
- 彼は初め自由党員だった.
- 彼は自由党に属している.
- 自由党が政権を握っていた.
- 自由党.
- わが党は自由党とはっきり一線を画している.
- 自由党政権が覆ったのは主としてこの理由による.
- 労働党は自由党にすり寄って政権の座を維持しようとした.
- 自由党
- 自由党員
- 自由党は政権に離れている
- 自由党はいよいよ旗色を現した
- 自由党は政府の横暴を訴えた
- 英国では自由党と保守党が対立している
- 自由党員は、死刑への彼らの反対を喧伝するのが好きである
- 自由党は改革を要求した
- 自由党という政党
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