臨時型リトル・ジョン
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「MGR-3 (ロケット)」の記事における「臨時型リトル・ジョン」の解説
臨時型リトル・ジョンの開発は1956年1月に始まったが、1955会計年度の最終四半期にはいくらかの予備研究が終わっていた。この時期の差し迫った目的は、空挺作戦のために臨時の核搭載兵器を開発することであり、精度よりむしろ早急な配備に重きが置かれた。また、フェイズ2リトル・ジョンもフェイズ1と平行して開始された。 レッドストーン兵器廠は1956年2月、エマーソン・エレクトリック・マニュファクチャリング社に設計、開発及び20セットの弾体構成要素と1956年9月1日まで1ヵ月あたり24セットの率で構成要素を生産するのに十分な工作機械類の製造に関する213,688ドルの契約を与えた。飛行試験プログラムの実現可能性段階は予定より3ヵ月早い1956年7月に始まったが、アメリカ国内の全国的な鉄鋼業界のストライキによってロケット・モーターの納入が6週間遅れ、大きく予定が狂うことになった。プログラムが更にロケット発射機干渉問題のために難航したことで、この遅れは更に1957年1月にまでずれ込むことになる。臨時システム用の発射機の仕様は、1956年10月にヘリコプター可搬発射機として望ましいものに修正され、臨時型リトル・ジョンの新しい軍用性能が確立された。これは、発射機に関する部分以外は1955年7月に確立されたものと同様であった。 1957年5月から1957年6月5日まで最終的な弾頭搭載の開発試験が実施されたが、結果を統計的に分析したところ、臨時型リトル・ジョンの精度が当初予測されたものよりもかなり不足することが示された。1957年7月にフェイズ1リトル・ジョンはひとまず予定通りに完成し、1957年7月16日にレッドストーン兵器廠は、臨時型リトル・ジョンの正式な研究開発リリースをしたが、当初見積られた精度を実現するために、フィールド-タイプ改造の可否を決定するための調査を実行できるよう最初の部隊配備を遅らせた。精度に関して軍用性能に示された最小限の要件を満たすことができなかったため、1957年7月26日から1957年8月23日まで臨時型リトル・ジョンの複合エンジニア・テスト-ユーザー・テスト・プログラムが実施されたが、やはりシステムはT317E1弾頭を搭載するのに十分な精度がないことが判明した。これらの試験は、リトル・ジョン精度問題の主な原因を特定することに成功し、修正案が決定されたが、改造は承認されなかった。 1957年8月に第101空挺師団がフェイズ1リトル・ジョン・ユニットを初めて受領したが、臨時型リトル・ジョンは戦術使用のためには決して配備されず、部隊訓練目的のためだけに使われた。その3年後の1960年9月29日にフェイズ1リトル・ジョン・プログラムは終了した。
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