臨時執行部の混迷
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だが、新しく選出された臨時執行部はさまざまな学生たちの寄せ集めであり、成立と同時に内部の意見対立が起きた。意見対立は1973年入学式への対応(黒ヘルメットをかぶって乱入・会場占拠するか、静かなデモをおこなうか)などで表面化した。 1973年(昭和48年)5月、革マル派は早稲田大学総長の村井資長に対する大衆団交をおこなったが、これは一部の学生が授業中の村井総長の教室に乱入して村井資長総長を拉致したものであった。村井資長総長は一度はより広範な学生との総長団交を約束したが、まもなく混乱を理由に約束を破棄した(第3次早大闘争)。村井資長総長はその後、早大原理研究会の勧めで「川口記念セミナーハウス」建設に自身の別荘地を提供し、1976年(昭和51年)に竣工したが、そこが統一教会の修練場となっていることを知り、週刊誌に告発、統一教会から名誉棄損で訴えられ、十数年にわたって係争した。
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