腐敗との戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 08:43 UTC 版)
「バッシャール・アル=アサド」の記事における「腐敗との戦い」の解説
2000年、バッシャールは「古参と新たな血の融合」「腐敗との戦い」といった新たな運動を唱え、体制内部の腐敗一掃とあらゆる分野での改革を訴えた。それに呼応するように3月8日、汚職疑惑があったマフムード・ズウビー(英語版)首相率いる内閣が総辞職し、新たに清廉で実直として評価が高かったアレッポ県知事ムハンマド・ムスタファー・メロ(英語版)がバアス党大会で首相に指名され、3月14日にメロ内閣が発足した。この内閣には、バッシャールが指名した23名の実務や行政手腕が買われた50歳以下の中堅・若手閣僚も含まれていた。今までのシリアの内閣は、大統領が国防・外務・情報・経済担当大臣を選び、他の大臣については情報・治安機関が人選を行っていたが、今回は実質的にバッシャールが人選を行った。 「腐敗との戦い」において最初のターゲットになったのは、前首相のズウビーであった。2月には「首相在任中の行動規範が、党の価値観、道徳に反し、法を逸脱して国家の名誉、党の名声に被害をもたらした」としてバアス党地域指導部にて党を除名され、首相辞任後は公金横領容疑で起訴され、資産を凍結する懲罰措置が取られた。そして逮捕日当日の5月21日、ズウビーは自宅で拳銃自殺を遂げた。この事件についてはさまざまな説が飛び交い、数日前からズウビーの健康悪化や自殺未遂の噂が流れ、政権による暗殺との憶測も呼んだ。一説によると、ハーフィズ・アサドの妻の一族であるマフルーフ家の指示により、北朝鮮との天然ガス密売の取引に失敗したため、詰め腹を切らされたとの説もある。 ズウビー自殺を皮切りに、党や政府の高官が次々と腐敗の容疑で逮捕されていった。これは体制内部の粛清と、綱紀粛正を進めるバッシャールに対して恐威の念を抱かせるという二重の意味があったとされる。
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