腐敗・逮捕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:52 UTC 版)
ロルダンが隊長を務めていたとき、フィリピン製の不良品の9mmパラベラム弾が購入され、これにより軍人が負傷した。1993年、新聞紙の『ディアリオ16(Diario 16)』がルイス・ロルダンの遺産が過度に増加していることに対する最初の疑惑を記事にし、最終的には同年12月3日に解任されるに至った。1994年初頭、続けてロルダンが職権を利用し不正な手段で財を蓄えていたことが発覚し、伴って必然的にロルダンを監視していた内務大臣のアントニー・アスンシオン(Antoni Asunción)が辞任することとなり、ロルダンも国外に逃亡することになった。ロルダンは失踪中、手紙を送り、部分的に罪を認めるとともに、他の内務省高官がテロと麻薬の撲滅のための資金源とされる予約金(fondos reservados)から、対テロ・薬物密売と称して余分に金を受け取ったと告発した。糾弾した人物の中には、前大臣ホセ・ルイス・コルケラ(José Luis Corcuera)も含まれていたが、フェリペ・ゴンサレス首相も「すべてに気づいていた」と非難した。ロルダンは1995年2月27日にバンコクのドンムアン国際空港で逮捕された。ロルダンとPSOE政府は、ロルダンが(脱税なども行っていたが)賄賂と横領の2つのみの罪に問われる代わりに逮捕に応じるという合意に達したと主張した。これらの主張は「ラオス文書」として知られるようになったが、PSOE政府はその真偽を認めようとしなかった。
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