腐敗選挙区と選挙不正
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 20:23 UTC 版)
「1832年改革法」の記事における「腐敗選挙区と選挙不正」の解説
特に有権者の少ない選挙区でよくみられる特徴であるが、1832年改革法以前の選挙区は多くがパトロンに支配されており、その「懐中」(pocket)にあるとして懐中選挙区(pocket borough)と呼ばれ、またパトロンが当選者を「指名」(nominate)できるとして指名選挙区(nomination borough)と呼ばれた。選挙区のパトロンは貴族か地主階級が多く、現地での影響力、名声、そして金銭をもって有権者を動かした。このことは郊外のカウンティ選挙区や大きな地所の近くにある小さなバラ選挙区でよくみられる現象である。貴族の一部は複数の選挙区を手中に収めており、例としては第11代ノーフォーク公爵チャールズ・ハワードが11選挙区を、初代ロンズデール伯爵ジェームズ・ラウザー(英語版)が9選挙区を支配した。この状況について、作家シドニー・スミス(英語版)は1821年に「この国はラドランド公爵、ロンズデール卿(英語版)、ニューカッスル公爵ほかバラの所有者20人のものである。彼らは私たちの主人だ!」と嘆いている。イギリスの議会史家トマス・オールドフィールド(英語版)が『グレートブリテンおよびアイルランドの代議士史』(Representative History of Great Britain and Ireland、1816年)で主張したところによると、イングランドおよびウェールズを代表する議員514名のうち、約370名が180人のパトロンにより選出されたという。懐中選挙区を代表する議員はパトロンの命令に従って投票しなければ、次の総選挙で議席を失うとされた。 一部の選挙区では有力地主による直接支配に抵抗したものの、選挙汚職の温床となっていた。たとえば、ニュー・ショアハム選挙区(英語版)では有権者81人(有権者数の合計は約100)が「クリスチャン・クラブ」(Christian Club)なる組織を設立して、最も多くお金を出した人物にバラを売ったという事件が1771年に露見している。選挙汚職で最も悪名高かったのはネイボッブ(東インド、西インド成金)であり、一部ではバラの支配を貴族と地元の名士から奪取するほどだった。1760年代の首相初代チャタム伯爵ウィリアム・ピットはインド成金を指して「海外の金を持ち込んだ者が議会に無理に押し込んだ。その汚職行為の連発に抵抗できる世襲財産はなかった」とコメントしている。
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