腐敗選挙区を擁護する議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/01 03:47 UTC 版)
「腐敗選挙区」の記事における「腐敗選挙区を擁護する議論」の解説
1807年から1830年まで続いたトーリー党政権は、議員の相当数を選出していた腐敗選挙区を擁護していた。このような姿勢は、当時から、トマス・ペインやウィリアム・コベットなど、有名な論客たちの批判にさらされていた。 当時は、代表例として引用される大ピットの発言にあるように、腐敗選挙区には政権に安定をもたらし、また将来を嘱望された若い政治家を議会に送る方途となる効用がある、などとする議論がなされていた。腐敗選挙区擁護派の議員は、この制度を続けてきた時代にイギリスは繁栄してきたのだから、そのまま維持すべきである、とも主張した。 西インド諸島やインド亜大陸の植民地にいたイギリス人たちは、ウェストミンスターの議会に代表をもてなかったこともあり、腐敗選挙区は植民地住民の利害を議会に反映される機会を与えるものだ、と主張した。 政治家スペンサー・パーシバルなどは、もし腐敗選挙区を廃止すれば制度全体が崩壊しかねないと述べ、国民に制度全体を見てほしいと訴えた。
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