脳の行方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/22 17:20 UTC 版)
「アルベルト・アインシュタインの脳」の記事における「脳の行方」の解説
アインシュタインは1955年4月18日午前1時すぎに入院先のプリンストン病院(英語版)で死去した。同日午前8時、トマス・シュトルツ・ハーヴェイにより検死が行われた。ハーヴェイは遺体から脳を取り出した。その重さは1230グラムだった。 ハーヴェイは脳をペンシルバニア大学の自分の研究室に運んだ。ハーヴェイは、内頸動脈から50%のホルマリンを注入した後、10%のホルマリンに脳を浸した。そして、その脳を様々な角度から撮影した。その後、脳を約240個の1立方センチメートルの切片に分割し、コロジオンで包んだ。ハーヴェイはアインシュタインの目も摘出し、アインシュタインの眼科医であるヘンリー・エイブラムスに渡した。 ハーヴェイは切片をスライスしてスライドに貼り付けて染色した。スライドは12セット作成され、各セットには数百枚のスライドが含まれている。ハーヴェイは、自分の研究用に2セットを残し、残りは当時の主要な病理学者に配布した。顕微鏡で脳細胞を観察する細胞構築(英語版)を使えば、有用な情報が得られると考えたからである。 アインシュタインの脳の保存が本人や遺族の同意を得て行われたかどうかは、議論の余地がある。ロナルド・W・クラーク(英語版)が1972年に発表したアインシュタインの伝記には、「彼は自分の脳を研究に使い、火葬にすることを主張していた」と書かれている。最近の研究では、アインシュタインやその近親者の許可なく、脳が取り出され保存されていたことが示唆されている。アインシュタインの長男で物理学者のハンス・アルベルト・アインシュタインは、脳の摘出・保管が発覚した後、それを支持した。ただし、脳は、権威ある科学雑誌に掲載される研究にのみ使用されるべきだと主張した。 1978年、ジャーナリストのスティーブン・レビー(英語版)によって、ハーヴェイがアインシュタインの脳を所有していたことが再発見された。脳の切片は、2つの大きなメイソンジャーにアルコールに漬けて入れられ、さらにサイダーの箱の中にしまった状態で20年以上保存されていた。 2010年、ハーヴェイの相続人は、ハーヴェイが所持していたアインシュタインの脳の切片などを全て、国立健康医学博物館(英語版)に譲渡した。その中には、これまで公開されることのなかった、切片にする前の脳全体の写真14枚も含まれていた。 さらに最近では、アインシュタインの脳の46個の切片が、フィラデルフィアのムッター博物館(英語版)に収蔵された。2013年には、この脳の一部が博物館の常設展示室で展示された。この展示では、アインシュタインの脳の薄片が顕微鏡のスライドに取り付けられていた。
※この「脳の行方」の解説は、「アルベルト・アインシュタインの脳」の解説の一部です。
「脳の行方」を含む「アルベルト・アインシュタインの脳」の記事については、「アルベルト・アインシュタインの脳」の概要を参照ください。
- 脳の行方のページへのリンク