職制・一人司教制とローマ教会の首位権
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「初期キリスト教」の記事における「職制・一人司教制とローマ教会の首位権」の解説
「教皇権」を参照 教会の職制は原始教会にはみられなかったが、初期から教会は使徒の継承という観念によって霊的権威を持つ指導者が必要とされたため、教会的組織が徐々に形成されていき、エルサレム教会で7人のディアコノス(執事)、その上位にエピスコポス(監督)という職制が作られ、小アジア教会ではプレスビュテロス(長老)職というユダヤ教と共通する職が作られた。またパウロは使徒の下に、教師、奇跡を行う者、病気を癒やす者など7種類の職をあげ、3世紀のローマ教会にはエクソルキストス(祓魔師)がいた。東方教会ではエピスコポス(監督)制をとり、ローマやガリア教会では初期は長老制であったのではないかとされている。少なくとも2世紀半ば以前については使徒教父による文書ヘルマスの牧者でも複数の指導者を描写しており、一人司教については描写されていない。しかし、2世紀半ば以降になると、アニケトスローマ司教の頃から、一人司教による教会組織が確立した。スミルナの教会からポリュカルポスなど東方の教会の司教たちをローマに集合させ、と復活祭の日付について議論した。ウィクトル1世はそれまでミサをギリシャ語行っていたが、彼の時代以降はラテン語で行われるようになった。ウィクトル1世は、復活祭問題で同調しない小アジアの教会を破門するなど、ローマ司教の権威を強硬にふるった。180年頃のリヨン司教イレナイオスによる司教リストではすべての国の教会はローマ教会と一致しなければならないとローマ教会の優位を述べている。 ローマ司教の教会における優位性は、イエスがペトロに向かって天国の鍵を授けたという聖書証言に根拠があり、これが教皇権の根拠となっている。 あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう。 — マタイによる福音書16.18-19 キリストの信仰共同体の指導者も教会の教導伝統も使徒団と結ばれており、使徒職によって教会はイエスとの一致を保障される。ペトロはこのような使徒団の中で特別の使命を受けた。使徒の首長ペテロの後継者としてローマ教会司教は、やがて中世ヨーロッパのカトリック世界において使徒座や教皇庁などの教会制度が整備されていくなか、ローマ教皇が全司教の第1位にあり、全司教,信徒に対し完全で普遍的な至上の権威、すなわち教皇権や教皇の首位権(Primatus Romani Pontifıcis)を持つようになっていく。
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